酔い日は良い日の日記

最低!最悪!資生堂ギャラリー


MIWA YANAGI の展示を見に行ったが、ヴィデオを壁面に投影して見せているのだが、まず音の調整が歩く、ぼそぼそと言っているだけで聞き取れない。聞き取れないのにはもう一つ理由がある。

このギャラリーは地下にあるのだが、一階入り口でプラザコンサートなるイヴェントをやっている。この日は韓国の張愛姶のマリンバの演奏があって、その音が地下に響いて来て、地下の展示のかすかな音は全く聞こえないばかりか、音を伴う展示が全く別のものに変身してしまう。

こんなバカな展示を見たのははじめてだ。資生堂って何だ?何のためにこんなギャラリーをつくったのだろう。素人が運営してもこんなバカはやらない。出展している人にも失礼だ。一階のイヴェントがメインでギャラリーの展示はおまけと言った運用でしかない。それでいいのかね?管理運営責任者は即刻更迭だ。

早々に退散した。二度といかない。人に問われたら、最低なギャラリーだと言おう。

2002年06月30日 22時46分30秒

6月が終わる。

28日。美延退院。雄馬来る。

雄馬が来るので、銀座の博賓館で小さなおもちゃをかった。太陽電池で首をふる「日だまりの民」。トミー製。大人たちはカワイイ!を連発するが、かんじんの雄馬くんは動きが小さく地味なので、あまり興味を示さない。

☆ここまで書いたら、客が来て中断。

29日。去年「チャット」という芝居をやった宇田川くん。そのとき話の勢いで貸した「話術」(徳川夢声)を返しに来た。他に2人。今度、男だけの2人芝居をやる人たちだそうだ。コア石響でというのだが、残念ながら日程があいそうにない。出し物は?聞いたのだが忘れた。イギリスの作家の台本ということだけ覚えている。

そのあと(7時頃)鍋島氏が、椅子展の打ち合わせに現れる。第2回だが、今回は「座場=ザバ」というテーマにしたいという。出展参加者は10人くらい。昨年通り参加の形式は問わず、椅子を作っても良し、図面でも良し、絵でも、写真でも何でもあり。8月

鍋島氏と久しぶりに逢ったのでつまみ無しでビールを飲む。空きっ腹に呑んだのでそのままごろ寝。寒くて目が覚め布団に入って朝まで熟睡。目が覚めると風邪をひいたらしく気持ちがすっきりしない。昨日のごろ寝がいけなかったのだ、自業自得だと言われてしまった。

30日。数日前(山本直純氏の葬儀の前日)、「森のうた」と言う文庫本が机の上に乗っていた。聞くと、山本直純の妹さんが置いていってという。
昨日・今日で読んだ。著者・岩城宏之氏とナオズミ氏の芸大時だの交友録だ。無銭旅行の達人ナオズミ。著名な演奏会に潜り込んだり、芸大の内外に繰り広げる珍行動が面白く抱腹絶倒だ。
最後の章は芸響(芸大交響楽団)の演奏会にショスタコーヴィッチの「森のうた」をやって、奏楽堂から正門まで行列が出来て1回では収容しきれず、急遽2回に切り替えたという話で結んである。
若く元気なアーティストの思いで話で、2人の親友としての像が鮮明に浮かび上がってくる。
一気に読んでしまった。
この本を置いていった妹さんの気持ちがよくわかる。

2002年06月30日 13時33分19秒

28日・退院

娘は金曜日(28日)退院と決まった。

自分のこと=今朝8時半に虎の門病院へ。検査の結果は「異常なし」。4時に毛利さん(鍼)へ。腰に若干疲れが出ているが、全く異常なし。毛利鍼灸院の健康優良児健在との太鼓判。

昼飯は上京した酒天牛氏とオーキッドで。トインビーの「歴史の研究」を借りた。小さな字の分厚い本(570p.)だから最後まで読めるかどうか?難しいやっかいな本だ。

いま、宮大工の小川三夫氏の「不揃いの木を組む」を読んでいる。氏が口述し塩野米松氏がまとめた本だ。物を作るということ、作る者の教育などなど職人としての世界観を荒い言葉で綴っている。迫力のある説得力でぐんぐん引き込まれる。一行一行・一字一句、日本人が忘れているものを呼び戻してくれる素晴らしい内容に感動する。語り口調だから、声で読んだらそのまま舞台に乗せられると思う。

2002年06月27日 01時09分43秒

遺物の前で先端セミナー

昨24日、病院を訪ねたのは6時、夕飯時だった。術後の抜糸が終わったそうだ。

眼科を受診した結果は後日結果が判るらしい。木曜日には視野検査をする事になった。

今日25日はNTTのブロードバンド構築のセミナーに行く。1時半から5時まで3時間半のレクチャーだが、ADSLに焦点を当ているので、いまの自分にはそれほど役に立つ話はないが初心者に何かを説明する時の参考になった。

参加者は16人。会場には一人ずつにパソコンが配置されていて、1列おきにISDN64Kと光100Mだ。ブロードバンド構築と銘打ったセミナーに何で64Kなどという遺物を繋いだのか?

自分が座ったと所は64K。頭にきたので休憩時間に、いまISDNの存在価値は何かを質問したら、一本の線で2回線使えるメリットがあるという答え。まいったね!今日は電話の話を聞きに来てるんじゃありませんよ。ネットワークでどんなメリットがあるかと重ねて聞くと、メリットは無いとの答え。

加えてこの世界では10年保つ技術は無い、今日のブロードバンドもいずれ新しい技術で置き換えられるでしょうと言う。

ハハァなるほど、そんなら俺は何で64キロの前に座ってなきゃならないのでしょうか?64キロを持ち出した意味がわからん!64キロは「ナローバンド」では高速だったが、もしスピードの比較で持ち出すならDSLにしてもらいたっかたね。

だが、そこで深読みした。ADSLと光の100メガを較べたら100が勝つに決まっている。ADSLより光が良いという事が明確に判ってしまってはADSLの評価が落ちる。落ちては困る。加入者が増えない。これがNTTの作戦だろう。ISDNで一網掬い、今度はADSLで一網掬ったあと光でもう一網掬うんだろう。だが次のテクノロジーが今のところない。無線接続はデメリットが多いとチラッと触れられた。そう、NTTは電話線だから、電波にかわられちゃ困るってのは正直わかるわかる。

講義中、アルティスタのホームページを見た。なかなかの出来映えだ。帰宅後、改築後初めての書き込みに謝辞をもらった。

2002年06月25日 21時24分34秒

遺物の前で尖端を聞く。

昨24日、病院を訪ねたのは6時、夕飯時だった。術後の抜糸が終わったそうだ。

眼科を受診した結果は後日結果が判るらしい。木曜日には視野検査をする事になった。

今日25日はNTTのブロードバンド構築のセミナーに行く。1時半から5時まで3時間半のレクチャーだが、ADSLに焦点を当ているので、いまの自分にはそれほど役に立つ話はないが初心者に何かを説明する時の参考になった。

参加者は16人。会場には一人ずつにパソコンが配置されていて、1列おきにISDN64Kと光100Mだ。ブロードバンド構築と銘打ったセミナーに何で64Kなどという遺物を繋いだのか?

自分が座ったと所は64K。頭にきたので休憩時間に、いまISDNの存在価値は何かを質問したら、一本の線で2回線使えるメリットがあるという答え。まいったね!今日は電話の話を聞きに来てるんじゃありませんよ。ネットワークでどんなメリットがあるかと重ねて聞くと、メリットは無いとの答え。

加えてこの世界では10年保つ技術は無い、今日のブロードバンドもいずれ新しい技術で置き換えられるでしょうと言う。

ハハァなるほど、そんなら俺は何で64キロの前に座ってなきゃならないのでしょうか?64キロを持ち出した意味がわからん!64キロは「ナローバンド」では高速だったが、もしスピードの比較で持ち出すならDSLにしてもらいたっかたね。

だが、そこで深読みした。ADSLと光の100メガを較べたら100が勝つに決まっている。ADSLより光が良いという事が明確に判ってしまってはADSLの評価が落ちる。落ちては困る。加入者が増えない。これがNTTの作戦だろう。ISDNで一網掬い、今度はADSLで一網掬ったあと光でもう一網掬うんだろう。だが次のテクノロジーが今のところない。無線接続はデメリットが多いとチラッと触れられた。そう、NTTは電話線だから、電波にかわられちゃ困るってのは正直わかるわかる。

講義中、アルティスタのホームページを見た。なかなかの出来映えだ。帰宅後、改築後初めての書き込みに謝辞をもらった。

2002年06月25日 20時22分43秒

外泊2泊3日

21日(金)、外泊許可が出て帰宅。康雄さんが雄馬くんを連れてくる日だが、急に決まったのと、驚かせてやろうという下心もあって外泊のことは知らせてない。

10時頃現れた康雄さん、びっくりしてキョトン!だが回復を喜んだのは言うまでもない。雄馬くんも久しぶりに母子再会。

22日(土)は直美が晴太くんを伴って12時ころ子守に来る。こちらも連絡はしなかったが、この「酔い日」を見ていたので外泊の件はバレバレ。雄馬くんのおむつを替えたりミルクを作ったりさすが先輩だ、手際よく世話をしてくれたが、それからは雄馬くんと遊び、サッカーを見て楽しんで行った。

晴太くんは、小田急の中で、折角買ってもらったドラエモンのカードを窓ガラスの間に落としてしまってしょげていたが、帰りにジャスコでもう一度買ってもらうため、閉店前に帰ると早々に引き上げていった。

その後に、康雄さんが来る。一泊して日曜に帰る。

23日(日)。午前中、大人たちは雄馬くんにたっぷり遊んでもらった!3時ころ、美延を病院に送り帰してから雄馬くんは帰って行った。次の金曜日にまた来るよ。月〜金は保育園、土日は四谷と多彩な活動だ。

娘がここへ来て約50日、正誤の狭間から抜け出したわけではない。

2002年06月23日 21時24分13秒

外泊許可

20日。和子は風邪気味で見舞いに行かない旨連絡があった。こちらも何かと仕事が重なって病院に着いたのは7時を回っていた。

この日、CTの検査だったが、異常はなく順調だというが、目の痛みとふらつきは相変わらずだ。看護婦さんにその旨訴えたりいろいろ質問したりするので「菊池さんは心配性だから」と院内で有名になっているようだ。

その結果やっと眼科受診が決まったという。だが、眼科受診は来週になりそうだ。

今日21日、携帯に和子から電話があり、外泊許可がでたという。まずは一歩前進ということだ。きょうは雄馬くんも来ることになっているので、祝杯をあげよう!

以下自分のこと:---
きょうは、会社の健康診断。結果は心配なところはなく、血糖値なども正常に戻っているという(昨年は糖尿病寸前の値だった)。血圧も125-75と去年より良い(去年は確か135-90位だったとおもう)。
今年はオプションのマーカー検査を加えたが、その結果は後日郵送となる。

検査が終わってから、会社に戻る。下剤が効いてきて、何度もトイレに行く。

中里氏と久しぶりに昼食を古巣のオーキッドで。2時間ほどねばって話し込んだ。氏はお茶の水に石仏の写真展を観にいくと言っていた。別れたのは3時少し前だった。

2002年06月21日 17時02分45秒

怒る娘

19日、病室へ行くと、目の奥が痛くて身体が熱いと言って看護婦さんを呼ぶ。
看護婦さん「じゃあ、鎮痛剤を出しましょう」
と言われて怒る娘。

言われるままに薬を服用すると、眠りが昼夜逆転して悪循環をくり返す。さらに、ふらつきが出るなどの副作用もでるようだと言う。このことはすでに何度も看護婦さんにアピールしてあるそうだ。

「なんで医者が来ないんだ!痛いからと言って鎮痛剤を飲んだって治療にならないじゃないか。昔はすぐ医師が飛んできたのに。虎ノ門病院の診療の方針が変わったんだろうか?」と私に訴える。「私の担当医は5人もいるんだよ」とベッドの上にある担当医のカードを指す。確かにその中の主治医Y先生は10日間のアメリカ出張中であることは初めから承知してはいるが・・・

目の奥が痛く、時々暗くなるので眼科を受診したい旨申し出たが「主治医が出張中で許可がとれない」ので駄目だという。もともと眼科を受診して、今回の入院・手術になったのにである。

万一の仮定だが、もし急性の黒内症が発症していて痛い・暗いの症状が出ていたとしたら、髄膜炎の初期症状だったとしたら、その責任は誰がとるのだろう。患者の立場に立った治療方針ではない。患者の立場より病院の決まりが優先している。人の命を預かる病院がこれでいいのだろうか?

難しい医学に無知な患者である。もし現在の痛みや暗さが心配ないものであるなら、担当医の誰かが患者に説明すべきではないのか?(看護婦にはその権限はない位のことは私にも判るし、期待もしない。)

同じように、いつ退院出来るかを聞いても、主治医がいないので判らないと言う返事。じゃあ「Y先生はいつお帰りになるんですか?」を聞いても「ここではちょっと判りません」。病院の組織とはどのように運用されているのだろう?

これは担当の医師や看護婦が悪いのではないと思う。病院のシステムが経営の効率を優先して、互いによけいなことを切り離しているのだと思う。どの大病院もこんな状態なのだろうか?

2002年06月20日 12時23分30秒

サッカー

6月18日。病院へいく途中、喫茶店のまわりに黒山の人だかりはサッカーを見る人たちだ。前半を会社でみて、病院についてから後半を。負けた。

美延は元気だった。いい顔だ。隣に急患が入り、4人部屋に代わった。サッカーを見たのでこの日は長居した。昼間降り続いた雨もあがり、雲間を走る半月が帰路を照らしていた。

夜は韓国の熱い勝利に酔えた。僅かに酔い日だった。

2002年06月19日 14時55分29秒

先週読んだ本。ドラッカー「ネクスト・ソサエティ」。
買った本。根岸卓郎「文明の大逆転」、ジョセフ・E・スティグリッツ、鈴木主税訳「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」。
で、今日から「文明の大逆転」を読み始めた。

2002年06月17日 15時56分43秒

自分の事

娘が入院した12日。自分は泌尿器科で膀胱の検査。異常なし。どちらを向いても病気の話ばかりだが、まずは異常なしに乾杯!

2002年06月17日 13時12分28秒

ささやかな「酔い日」

きのう、雄馬くんはじめ菊池一家来訪。
美延のお見舞いだが、赤ちゃんを病院に連れて行くのは良くないので、和子と雄馬くんはお留守番。

美延はすっかり元気。まだ頭の痛みは全快したわけではないが、手術前に較べれば格段に良くなった。もう看護婦さんに付き添ってもらえば歩いていいそうだ。病棟の長い廊下を30回も往復したという。顔色もよく、目の光りも活きてきた。お腹が空き、3度の食事もきれいに食べ、もどすこともない。

経過。

13日のオペは、予定より2時間おくれて始まり、7時過ぎに病室に帰ってきた。執刀医の説明では問題なく済んだという。

翌14日、夕方見舞った。病室が移動した。ナースセンターの前の部屋は重態の人が入るそうで、手術当日とか術後の経過を見る必要のある人が入っているそうだ。美延は術後の経過も順調で部屋を移されたのだという。だが急に気持ちが悪くなったと言って少しもどした。何も食べていないので吐くものがないのと、手術の傷が痛く、お腹に力が入らない。

15日、直美から電話があり「病院に見舞いにきたんだけど、ブンタンがベッドにいないんだけど・・・」。また病状が悪くなって治療に行ったのかと一瞬ビックリしたが、あとで聞くと、たまたまトイレにいっていたそうだ。サエグサ一家全員でのお見舞いに力づけられただろう。とても元気で、冗談も言えるようになっていた。
このあと、サエグサ一家は家へより、ハンバーグで夕食をともにした。

昨日16日は頭書の通り。

見舞いから帰ってからビールで乾杯!快復を祝った。「神の河」を飲んだ。寝てしまった。まずは久しぶりのささやかな「酔い日」だった。

2002年06月17日 13時05分02秒

暇つぶし

病院に限らず長い待ち時間の手持ちぶさたには絶えられない質だ。

昨日、何も持たずその待ち時間には突入した。仕方なく本屋へ出向いてドラッカーの「ネクスト・ソサエティー」なる書籍を購入した。一昨日買った「文明の大逆転」と読み比べてみようと思ったのである。

どちらも、常日頃疑問に思っていることがすっきりと解明されているが、文明や社会に対する視点(東洋的vs西洋的)が明確になるのではないかと楽しみである。ドラッカーは4〜50年の周期を論じているが、文明の大逆転では800年周期の宇宙のリズムを論じる。800年の周期とか宇宙の周期などと言われると違和感があり胡散臭く感じるのは自分が西洋科学に洗脳されているからだろう。ドラッカーは分かりやすいが、1920年の何々と言った時間軸の説明がすらすら分かるわけではない。だが、800年周期説ではその周期が長すぎて歴史に弱い自分にはかなり読みにくい。と言うより、とばし読みになってしまう。

2002年06月13日 15時42分50秒


オペ

6月12日、朝の蒸し暑さは日中ぐんぐん涼しくなり、午後は寒いくらいになる。病院から外に出ると、夏の夕暮れ高原に降り立ったよにひんやりと冷たい湿った空気に包まれる。

12日朝、虎ノ門の脳神経外科で受診。やはり脳圧が高く、それが原因で視神経を圧迫している可能性があるので、緊急に手術を勧められた。その時の娘は大変調子が良く、CTの診断結果からは推定できないと先生も首を傾げていたが、頭痛の周期からみて、快癒したとは思えないので、オペに踏み切るべきだとという診断だった。

19時頃、近くの飲み屋で夕食を済ませ、20時、病室に戻るとヤッチャンが来ていた。8時半頃その車で帰宅、ヤッチャンは珈琲を飲んで帰った。

今日13日、14時からオペの予定。いま、和子から、手術室の都合で3時からの執刀に変更されたとの連絡が携帯に入った。終わるのは18時を回るのではないかと。

今日も、昨日ほどではないが相変わらず涼しい。

2002年06月13日 15時25分58秒

ゲリラと戦う

5時を回ろうとする頃、電話が入った。視神経に炎症があるらしいので、脳外科へ回ったようだ。
体中にゲリラが潜んでいるようなもので、どこを攻め、何をつぶしたらよいのか?手がつけられないとはこのことだ。長期戦はごめんだ。体力が心配だ。
まだ結論は出ていないが、ひとつずつつぶしていくよりほか手はないのだろう。

2002年06月11日 17時24分20秒

結果は如何に?

10日、近くの眼科受診。眼底出血があるので総合病院で受診し原因をつきとめるようにすすめられ、今朝虎ノ門病院へ行く。眼底出血は確かに目に現れるが、高血圧や糖尿病など原因が様々なので眼科単科の病院ではなく、総合病院の方がよいと言う。
10時頃病院に着き、初診の受付を済ませ眼科受付に書類をだしたのが11時を少し過ぎていた。結果は如何に?

明日は9時から私自身の膀胱癌定期検診。こちらも結果は如何に?

2002年06月11日 12時04分19秒

美穂子ちゃんの結婚式

6月9日は美穂ちゃんの結婚式。
朝10時頃、光洋の車で八ヶ岳高原ロッジへスタート。出がけに、娘が目の奥が痛く、暗くなったというので、北海道の親戚の医師に問い合わせると、すぐ眼科で受診した方がよいと言うことで家人は残ることになった。

ガスを補給するため高井戸まで一般道を走る。道路はすいている。高速に乗り、山頂を雪が隈取る富士山に向かって順調にはしる。約2時間。八ヶ岳有料道路を30分程走って「八ヶ岳高原ロッジ」に到着。

途中、談合坂で直美から携帯に電話があり、清里を走っているのでそろそろ到着だという。2時間ほど早い到着になる。前日は軽井沢に一泊したという。

ロッジで礼服に着替え、外に出ると高原の澄んだ涼しい空気が心地よい。寒いくらいだ。南海雄さん一家、浩一郎さん一家、江口さんなどにご挨拶を終わるとマイクロバスに乗って式場のチャペルに移動。こぢんまりした良い会場だ。全員が移動し終わり、親戚の紹介があるというのだが、いつまでたっても始まらない。きちんと仕切られた都会の進行の仕方ではない。次から次への過密な運営ではないからだろうが、何事もこのテンポだった。

親戚の紹介が終わって、式が始まる。牧師さんは、外国の女性。ヴァージンロードを進む。可愛かった美穂ちゃんがお化粧をしてお人形のようにかわいい。父・南海雄さんは緊張した面もちだ。おきまりの賛美歌、宣誓と式は滞り無く終わり、美穂ちゃんは田中美穂子となった。

フラワーシャワー、記念撮影に続いて披露宴である。

披露宴は、庭園に続く仕切のない高原の冷気が充ちたホール。バイキング形式で、よく食べた。来賓の祝辞に指名されていたので、一言。この日は、夜8時半から日本とロシアのサッカーの試合があるので、長い挨拶をするなと周りから冗談が飛ぶ。言われなくても長い挨拶など考えていないから、ものの3分で終わり。最後に美延からの電文を読み上げた。朝、電報を打とうとしたが、何回かけても電話が繋がらなかったからである。

ケーキカットは屋外のテラスにセットされていたが、残念なことにデジカメの電池切れで記録できなかった。一春君がデジタルヴィデオを廻していたので、あとで一こま貰おうと思ったが、こちらも電池が上がったという。直美が使い捨てのカメラを持っていたので後でプリントをくれるよう頼んだが、こちらはフィルムが無くなったという。我が軍団は総崩れだ。

晴太くんと加世子ちゃんの娘の雪乃ちゃんが新郎新婦に花束を贈呈。

式の進行は30分押しで始まったが、終わりは周りの木々の陰が長く伸び広い庭園を覆った6時過ぎで1時間押し。薄暗い。山の日暮れははやい。みんなサッカーが気がかりで、挨拶も早々に引き上げる始末。

高速に乗ると、渋滞。中野トンネルから大月まで17キロの渋滞で抜けるのに45分かかると掲示が出ている。勝沼で一旦高速から降りて一般道を大月まで走り再び高速に乗ることにしたが、20号線は工事のため片側交互の交通と言う箇所があり、ここも渋滞。結局大月で高速に入る前に日露戦は始まってしまった。カーナビをテレビに切り替えるとなんとか見られるが、危なくて運転できない。仕方なくラジオを聞く。相模湖のサービスエリアでしばらくテレビ観戦。車の流れが良くなってきたので、再びラジオに切り替えスタート。家についたのが10時20分ころ。結局、ロスタイムの2分も守りきって日本初勝利を確認してから家に入った。直美たちは後半戦には間に合ったそうだ。高速を降りない方が良かったようだ。

サッカーに気を取られてはいたが、とても良い結婚式だった。美穂ちゃん、おめでとう!!

そしてこの日、2週間我々のアイドルだった雄馬くんが帰った。こどものともの絵本を持っている写真がとてもよく撮れたのでプリントした。

美延は、虎ノ門でもらた薬を飲むのをやめた。でも、朝から吐いていない。頭痛もそれほど激しくない。鰻重も食べた。ふらつきは治らないが、薬の副作用が抜けてどうなるかに期待している。

今週金曜日には早稲田の鍼の先生が再度往診して下さる。

新しい治療として、親戚の医師の薦めで眼科を受診する事。目から激しい頭痛や嘔吐が来る場合も多いという。

2002年06月10日 19時11分59秒

不明

昨6日、10時20分の内科予約があるので、30分程前に病院に着く。受診できたのは12時少し前。2時間ほどの待ちだった。予約とは受診受付を指すのか受診時間を指すのか?病院に行った経験があるひとは誰もが待ち時間の長さを嘆く。

さて診断だが、症状を細かく聞かれたが、頭痛にたいしては痛み止め、嘔吐については嘔吐止め、凝りに対しては弛緩剤といった薬をだしましょうという。これは治療ではないと思う。2時間も待って症状に合った薬をもらうわけだが、その薬は、症状を抑えるだけだ。頭が痛くなる原因や嘔吐の原因を取り除く薬ではない。これでは病気は治らないと思う。

と言うより娘の症状はいまの医学では病気ではないのだ。現代医学で原因を突き止めることが出来ないのだと思う。その説明はなされない。いろいろな原因が考えられるということはわかったが、ただ症状を和らげるための薬を大量に飲まされるだけというのは、どうしても納得できないが、ではどうすれば良いのか?それが知りたい。

きょうは早稲田の鍼の先生が往診して下さることになっている。鍼やマッサージで良くなるとは思えないが、施術のあと、楽になるというので一縷の望みをかけて続けているが、こちらも原因を確定できない。ただ、骨のゆがみがあり、そのため筋肉に負担がかかって堅くなり、堅くなった筋肉が神経を圧迫するので痛みが出るのだと、因果関係で考えていく。そういうこともあるのだろうと、一応納得するが、施術をくり返しても症状は良くならない。

いつまでこんな事をくり返していなければならないのだろう?

9日・日曜日には、雄馬くんが帰る。雄馬くんを呼び寄せて、2週間。こどもがそばにいれば改善するだろうという期待は空振りだったようだ。効果があったとは思えない。

2002年06月07日 17時40分02秒

ホールの音

てるて姫伝説を演じた東の宮さんが、コア石響のホールに惚れ込んで、再演をしたいという。響きが良く、声を張らずに隅々まで台詞が届くからだという。ここでは声を抑えめに演じるのだそうだ。空間にどう声を合わせるか。音響との絡みも素晴らしいそうだ。
こう書くと、小さい声で演じているように聞こえるが、彼女の台詞のメリハリは抜群である。山場では怒濤に打たれるような迫力で迫る。だが決して声が割れることがない。さすがに鍛え抜いた肉声と演技が観客を魅了する。そしてさざ波が退いていくような微妙に泡立つような声にも聴衆は引き込まれる。
肉声を活かすことのできるホールはそう多くはないと言われる。

以前、箏のてん・仁智さんに、消えていく音が活きるホールとして折り紙をつけて頂いたことがあり、一昨年は10日間の箏と他の楽器や声とのライヴを行った。これまで自分がやってきたことの締めくくりにふさわしい場として選んで頂き光栄である。

また、つのだたかしさんも、リュートによく合う空間で、弦が鳴っている間ホールが鳴っている。こんなホールはざらにあるものではないと絶賛され、以後、リュートホールとして多くの演奏家を迎えることになった。

なんでもPAに頼る癖が、この小さなホールにも持ち込まれることが多いが、なぜナマの良さを活かそうとしないのだろうか?と、コア石響のお客様は首をかしげる。PAは大ホールでは必需だろうが、ここで声を聞かせるなら、器機を通さないナマに限る。そうしたファンが着実に増えてきたのはうれしい。

2002年06月06日 17時51分15秒

日本のモンマルトル

樽谷氏がコア石響を表した言葉だ。

ジャンルを超え、ユニークなアーティストが集まるからだと言う。

何の催しだったか判らなくなってしまったが、大勢の人が集まった席での発言だった。猫三味線の公演の後だったかも知れない。若い人が沢山いたが、キョトンとしていた。モンマルトルが何なのか知らなかったのだろう。