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酔 い日は・良い日・の 日記
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もう一度 ブータン |
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2001年10月30日 00時54分51秒 |
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ブータンの歌 |
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こんどの櫻井さんのストーリーテリングはブータンの音楽との共演だそうだ。そこでブータンの音楽をヤフーで検索してみた。あった。
3Mに勤める方のプライベートのホームページで、海外協力隊に参加され、5年ほど前に帰国された方のようだ。このサイトでブータンの歌が聞ける。 伝統の歌(ブータンの国家もある)。モダンな歌。などと分類して2〜3曲ずつ入っている。クイックタイム・ムービーで聞くことが出来る。 牧歌的な響きを感じるが、この国のことは何も知らない。我々と較べたら物質滝には貧しい国だろう。どんな生活の中で歌われているのだろうか。想像すらできないが、短いメロディーだが何故か愛着を感じるし、生命の充実すら聞こえてくるようだ。歌っている歌詞はもしかすると悲惨な内容なのか?恋の歌もあるけれど、昔も今も、どんな社会だったのだろう。 櫻井さんの会が待ち遠しい。 明朝は冷え込むようだ。冬が近い。 |
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2001年10月30日 00時25分32秒 |
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書け書け |
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時間が矢のように過ぎ去って行く。
毎日のMEMOができない。日記にならない。一日過ぎると昨日のことの記憶は薄れる。二日も過ぎようモノならすべてが忘却の海に沈んでしまう。MEMOさえあれば、かなり古いことも思い返せる。酔い日の日記は、無理にでも書くので自分のために貴重なデータを残してくれる。公表しているからどうしても少しはフィルターがかかるが、続ける価値はある。 きょうは3時から殺陣。3ヶ月ぶりの稽古だったが、なんとか出来た。久しぶりに仲間が集まり、楽しい時間が持てた。テスト的にムービーをホームページに貼ってみた。1分で800kb近くなるので、まだ実用性がないと思う。 反省会の話題は、テロ、狂牛病、炭疽菌。先日つのださんが下さった大正時代の新聞も大人気。当時と今と記事の内容が全く同じだから面白い。政治のニュースも町の話題も同じ面に載っている。編集されていない。言葉使いも面白い。そこに古い時代を感じるが、汚職や暴力は今日と同じだ。 石黒師匠は、待望の「アイヌ」の脚本を完成し、来年2月に公演が決まったという。拍手! その前に、師匠の脚色で山本周五郎の「不断草」「人情裏長屋」を俳小がやる。殺陣仲間はもちろん見に行く。12月12日〜16日、俳小アトリエで。 |
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2001年10月29日 02時24分01秒 |
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テクノロジー |
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戦火。戦渦。戦禍。戦果。 それは火の文明。 火の技術が人の業を燃やす。 火が地球を焼き払い、自然を浸食した。 止まる事を知らない人類の欲望はバイオの技術を手にした。 人は自らの業を弔う。 |
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2001年10月24日 21時46分18秒 |
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村井しげる・アコーディオン演奏会 |
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10月21日は、村井しげるさんのアコーディオン・コンサート。
娘一家も聞きに来ることになった。 演奏会形式が苦手な村井さんだが、始まる前に香番表もばっちりできている。始まる前になるといつもの事ながらとても緊張しているようである。 秋晴れのすがすがしい天候のせいか客足は好調。早くから席が埋まっていく。開始15分前に、早くも準備した席はイッパイ。少し前に詰めて頂いて20席ほど椅子を追加した。 定時に始まる。満席の中を通って村井さん登場。去年までは、弾きながらの登場だったが、今年は舞台に上がってからイントロの演奏が始まる。得意な曲を何曲か弾くと気持ちが収まると挨拶。 きょうは、ギターとヴァイオリンが加わり、3部に分かれている。 第一部はメドレーで、ドンホセ、東京ラプソディー、ラメチャンタラ、人生いろいろ、テネシーワルツ、月光仮面、バス、ノナマニ、パリ野郎、ジャンバラヤ、無錫旅情、ハピーサマー。だんだん調子が出てくる。今日の演奏は素晴らしいできだと思う。 ココまで約10分の予定になっているが、なんと15分。5割も超過している。先が思いやられる。ヴィデオは2本に分けて撮る計画なので、途中で撮れなくなることはない、読みが当たった。 二部はシャンソン、タンゴ、大正演歌で40分の予定。 シャンソンの部は、パリ祭、アコーディオン弾き、言葉のシャボン玉、パリの空の下。 タンゴの部は、ラ・クンパルシータ、小雨降る径、フェリシア、ヴァイオリンソロでカンタービレ、夜のタンゴ、黒い瞳。 大正演歌の部は、東京節〜さすらいの唄、マックロケ節〜月は無情・・・ 休憩をはさんで第三部。 「浅草は娯楽の殿堂」と題して大正から昭和初期にかけての浅草オペラの歌をメドレーで、当時の世相を軽いトークで語りながらの演奏、 続いてリクエスト・コーナー。花売り娘、港木更津、椰子の実、北国の春、星影のワルツ、四季の唄。 幕を閉じる前に、アンコールは例によって「時代遅れ」。 さて、ばらしがおわって打ち上げ。娘夫婦とご両親にも特別に参加して頂くことになっているが、始まるまでのしばらく、テレビなどを見て時間をつぶしていただいた。 ビールで盛会を祝って乾杯。村井さんが大きな牛肉の固まりを持って来られたので宴たけなわになった頃を見計らってステーキがでる。手作りのご馳走も大好評。ビール、焼酎、デンキブランと飲み物も幅が広い。 酔うほどにギター、ヴァイオリン、アコーディオンが鳴り始める。ここからが本当の第二部と言った方が良い。演奏会を超える楽しさである。スタッフ、身内の特権を十二分に堪能できた。 酔い日だった。 |
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2001年10月22日 19時33分46秒 |
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再び、ディファレント・トレインズを聴く |
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10月19日。またデファレント・トレインズを聴きに行ってしまった。
千駄ヶ谷駅前の津田ホール。古典四重奏団の演奏。「新世紀に告ぐ---永遠の作曲か達」の二回目で、一回目はA.ペルト「弦楽四重奏のためのフラトレス」とJ.S.バッハの「フーガの技法」、オルガン小曲集から「おお人よ、汝の大いなる罪に泣け」。これはコア石響での試演会で聴いた。 今回のプログラムは、D.ショスタコーヴィッチ「弦楽四重奏曲・第八番ハ短調Op.110」、S.ライヒ「デファレント・トレインズ」、B.バルトーク「弦楽四重奏曲・第6番Sz114」。コア石響の試演会も聴いたが、大きなホールでの聞こえ方はどうかという興味も含めて津田ホールに足が向いた。 ショスタコーヴィッチもバルトークも美しく整った音楽としてなじんでいるが、ライヒを聞く機会は少ない。今回演奏されたディファレント・トレインズは1996年秋、S.ライヒ監修により日本人初演奏を水戸芸術館で聴いたのがはじめてだった。この演奏に対してライヒは惜しみない賛辞を寄せている。 私は、プログラムの解説を読んだためしがない。だが、試演会の時、説明を聞いて、今回はプログラムを読んだ。ユダヤ人のライヒの生涯を列車で描いている。戦前はアメリカで、楽しい列車の旅。戦中はナチの収容所行きの家畜運搬車に詰め込まれ、迫害された仲間達。戦後は再びアメリカのニューヨーク発ニューヨーク行きの列車。ここで演奏されている音は、人の生と死、運命なのだ。 ライヒは「ミニマル・ミュージック」というジャンルの音楽の草分けだそうで、録音した音を少しずらすことで新しい音やリズムを創る。デファレント・トレインズもテープと生の演奏である。テープには声が入っている。詩を詠んでいるのは、ライヒの家庭教師、当時の列車のポーター、ナチの虐殺から逃れたユダヤ人たち。 ライヒの愛好家のホームページもあるが、弘源寺五重奏団のホームページに、デファレント・トレインズについての長いテキストがある。 |
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2001年10月20日 15時06分10秒 |
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デファレント・トレインと逃亡 |
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デファレント・トレインはスティーヴ・ライヒの曲で、数回きいた。列車がひたすら走り続ける。車輪が軋み警笛が鳴り、速度があがったり下がったり。ナチから逃れるユダヤ人と機関夫を描いているそうだが、聴く度に新鮮度が増す。
最初聴いたときはまとまりのない、雑音の多い曲だ位にしか感じなかったが、それが次第に不安や恐怖や怒りの交錯する音楽として聞こえはじめ、今回は別のイメージを重ねながら聴いた。 平曲の後藤光樹師の若かりし日。従軍看護婦として戦地にあり、終戦と共に捕虜となったが移動中に女性だけの3名で脱走し、逃避行の途中一人が怪我で亡くなる。引き返せば銃殺あるのみ。背後には追っ手がせまっているであろう。おいつかれれば射殺される。往くも帰るも死あるのみの状況で、銃殺されれば前に倒れ俯せに死ぬ。後ろから打たれれば仰向けに倒れるだろうなどと考えながら、逃走を続けることを選んだという。23歳の時であった。 この話がデファレント・トレィンの曲に見事に重なって来たのだ。 今日もどこかで同じ状況に立たされているものがいる。戦争だから・・・ 10月16日。古典四重奏団・試演会で。 |
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2001年10月18日 12時34分46秒 |
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パーカッション演奏会 |
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10月15日。トッパンホールでパーカッション・ミュージアム特別演奏会「二十一世紀到来〜打楽器アンサンブル」を聞く。
前半に若手、後半に大家の曲を3曲づつの構成。前半がよかった。後半の北爪道夫、福士則夫、渡辺晋一郎の大家の曲はまとまりがよく素晴らしい曲であるが、整然としすぎているように思えた。 最初は伊東乾氏の「オクトパス・オクトパッセージズ」。大だこ、小だこ、果ては毒だこをイメージ出来れば幸いとの作曲者の挨拶があった。賑やかな楽しい曲であった。 2曲目は、今回のための依嘱作品で伊左治直氏の「南蛮夜曲」本日初演だという。打楽器と声・合唱、だれもが「みんなで演奏できる」ことを念頭に創ったという。歌の詩は、島崎藤村の椰子の実、伊達リョータの「海路の日和り」。童謡や唱歌のような感じだなと思っていると、それがなぜか雅楽のようにも聞こえる、不思議な曲である。 3曲目。権代敦彦氏のビブラフォンの曲。 angelus-vesper bell.数台のビブラフォンがセンターにいる奏者が先導し、その音を右回りに順番に受け継いでゆく。 この3曲目で私は意識不明?になった。出てくる時、風邪っぽかったので、すきっぱらではいけないとカレーライスを食べた。これがいけなかった。演奏がすすむにつれ睡魔におそわれ、ついにビブラフォンの響きの中に沈んでしまった。 座った席は真ん中の良い席だった。この列の人は一曲終わるごとの拍手に参加しない。あとで聞くと、ここは審査員の席だったそうだ。審査員の真ん中で居眠りをしていたのだから大したモノである。 終わって、帰路、中華料理店で夕食。この日、夕食を2回食べ、食い過ぎの満腹。 |
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2001年10月16日 10時07分02秒 |
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ホームページを少し変えてみた。 |
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昨日からホームページの見栄えを少し変えてみた。しばらく評判を見極めようと思う。したはTOPページに入れた速報である。
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2001年10月16日 00時44分48秒 |
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平曲・灌頂巻 |
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10月14日。後藤光樹師と梅田和子師の平曲演奏会。
梅田和子師は先帝御入水を語られた。美しい声だが、中音のあたりが少し濁るような気がした。 後藤光樹師は、伝承者が他には無いと言われる灌頂の巻全五句の最初の一句「女院御出家」を語られた。55分の大曲である。 曲目解説によれば、灌頂の巻は、 「女院御出家」「大原入御」「大原御幸」「六道」「御往生」 の5句で、平家物語の最終楽章である。曲のはじめにかなり長い琵琶の演奏が入り、冒頭の「祇園精舎の鐘の声」照応して締めくくっているのだそうだ。今まで聞いた句とは趣を異にする聴き応えのある演奏だった。 いずれ今日会場で配った解説書を資料としてUPしておこうと思う。 |
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2001年10月15日 00時44分18秒 |
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展覧会を2つ観る。 |
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10月会。京橋・ギャラリーくぼた、14日まで。
森津さんはじめ皆さん元気だ。個々の作風が今年も楽しい。作風を更に磨いて深く掘り下げている方、枠を広げて変化を見せてくれる方。8人画家が1年間の命をつぎ込んだ作品である。 毎年観て、残っている印象が新たになると同時に変化を感じる。芸大同級生の同士でそれぞれ独自の活躍をなさって歳月を重ね、毎年10月にグループ展を開かれている。 若い方なら成長とか進歩と言う見方になるのだろうが、10月会のメンバーの作品は年輪とか深みが、一年前に観た印象との差として感じられる。 私は絵画の見方を知らない。ただ好きかどうか、その時の気分を感じるだけだが、加藤さんの色彩の饗宴に形が強くなったとか、忠熊さんは作品として力が入っているようだし、山と空の青が濃くなったと、かそんなことを楽しみながら・・・ 真島直子展。京橋・ギャラリー川船。27日まで。 鉛筆画 Pencil on paper。一本の鉛筆でこれだけの世界が出来るのだと驚嘆するが、それがどんな世界であるかを表現することを拒む。1.5×2.5メートルもある紙に細い線を粗密に並べ、拡散、収斂を繰り返すうねりの様な動感が見える。海底から空を見上げたらこんな世界があるのだろうか?巨大な森林の樹冠を俯瞰したようでもある。卵子のない子宮のなかに拡がる精虫なのか?それが生と死の求愛のようでもある。何はともあれ、異様な世界を創る希有な作家である。どんな画ですかと聞かれても、答えようがない。 昼のためにハンバーガーを買って来て欲しいと頼まれたが、銀座通りにマクドナルトはなかった。四丁目を右に折れ、目的を達したが、店内に「オーストラリアの牧草だけで育った牛で、動物性飼料は一切与えていないので安心です」とある。 澄んだ秋晴れだが、日差しが強く暑かった。 |
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2001年10月14日 06時31分42秒 |
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ご意見 |
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2001年10月14日 05時12分33秒 |
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レクチャーコンサート「バルトークの不思議」 |
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10月11日。
古典四重奏団のレクチャーコンサートの第2。バッハのフーガの技法に続く「バルトークの不思議」。 難解(と私が思っているだけか)な曲がの組み立てがよく分かる。異なる調正が重なりあったり、対位法で演じられたり、複合リズムと新しい和音など、演奏を聴いているだけでは判らない事が、フレーズに切って解説してくれるのでなるほどの連続。とはいえ、次からつぎえ新しい音やリズムの説明が押し寄せてくるから結局理解しきれない。 よくもこれだけ新しい音楽を生み出したモノである。バルトークはバッハに匹敵する天才だそうだ。 聴衆の中に、つい最近、コア石響で「あるジプシーの物語」をやったRIYOさんがいる。演奏が終わってビールでのご苦労様会は例のごとく盛り上がった。 |
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2001年10月12日 17時20分09秒 |
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虚鐸を聴く |
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10月10日。
虚鐸は1メートルほどある長い尺八だ。いや、尺八は尺八寸の竹だから尺八とはいえないない。座って演奏されたが孔に手がやっと届くほどの長さである。初めて聞く楽器だ。 低い音から高い音まで、強い音より静かな音に特徴があるようだ。消え入るような音にも力がある。言葉で表現できないが、静寂を奏でるというか、無音より更に静かな空間を作るとさえ思われる。 折からの大雨と雷も鳴る。その雷鳴と激しい雨の音が聞こえるが、不思議と邪魔にならない。それどころか、虚鐸の音色が磨かれるように響く。 奥田さんの演奏は、人に聞かせる曲ではなく、自分の中から湧き出る音のようだ。吹禅といい、吐く息、吸う息、止める息が下界つながるのだそうだ。禅の修行なのだそうだ。じじつ、奥田さんは滅多に人前で演奏することはないという。 悪天候、土砂降りの中、60人ほどの聴衆を迎え、緊張したとおっしゃる奥田さん、演奏の合間にしきりと水を飲んでいた。「緊張して喉が乾いて・・・」 10人も聞きに来てくれればと思っていたのに、当日のお客も多く、ビックリしたとおっしゃる。 素晴らしい演奏だった。聴衆は小降りになった夜道を満足してお帰りになって行った。 |
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2001年10月12日 16時47分28秒 |
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象を喰った話し |
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アメリカで炭疽菌が見つかったという。
炭疽病は昔からある怖い病気。同じ菌が人と動物につく。 中学生の頃、「象を喰ったはなし」という映画があった。その象が炭疽病だったために大騒ぎになるという話し。この映画を見た生徒が処罰(竹刀を挟んで座らされた)された。私は見なかったので映画の内容は判らないが、生物の先生が授業中に、炭疽病というのは罹ったら死ぬ怖い病気なんだと教えてくれたのを思い出す。 真ん中が黒くなるデキモノで、今でも、手遅れになると確実に死ぬらしい。 トルコからパキスタンにかけて多く、この地域を「炭疽病ベルト地域」と呼んでいる。アメリカでは、以前、野牛(バッファロー)がこの病気に罹って大量に死ぬことがあったという。 アメリカ政府は、テロとは関係ないと言っているようだが、真実は?わかりません。 この菌は一度活動し出すと数年生き続けると言うから恐怖です。 |
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2001年10月09日 11時54分37秒 |
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10月第1週 |
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今朝のニュースはアフガンへの攻撃が始まったことを告げた。長期戦の始まりだ。世界経済が疲廃していくに違いない。
10月1週は3日=A−soulのレッスン、4日=Liveのリハ、5日=根岸語りの会本番、6日=Salunaの「あるジプシーの物語」本番、7日=松平竜門氏の「太陽祭」の本番(講演とソプラノ独唱)のあとLiveの建て込み&ゲネプロと続き、今日8日はLiveの本番。 と、次から次へ追いかけられて、ヴィデオテープの整理や、アルバムのアップやらで酔い日をアップする間がない。今朝はちょっと時間がとれたのでまとめてMEMOを整理した。 5日の根岸語りの会の朗読ライヴ「愛って哀しい物語=三つの涙が降る時間」で、パリ行き最終便(渡辺淳一郎)、最後の一葉(オー・ヘンリー)、不断草(山本周五郎)。いずれも良く語られる作品のようだ。 「最後の一葉」は、χシアターで芝居として観たし、神田紫師が一人芝居仕立てで演じたのも観た。今回は朗読で、窪久子さんというかたが読まれたが、真剣な取り組みに好感がもてたし、アマチュアでよくここまで出来たと感心した。 6日のLuna「あるジプシーの物語」は書き下ろし。ギターとフラメンコと芝居で良くまとまっていて、涙を誘う力演だった。ジプシーの哀しい話。 舞台は壁面いっぱいにコーヒー袋をさげ、紗の様に使うアイデアはずば抜けた効果を出した。 照明が竹井祟さんだから、舞台としての美しさも抜群。ビデオもばっちり撮れた。 7日、松平竜門氏の「太陽祭」は、松平氏がプロデュースする会で、講演と音楽を組み合わせた会員制の集まりの様だが、趣旨はよく理解できなかった。 講演は (1)江戸祐介氏の「知られざるアラブ」。公式の席では聞くことが出来ないような話が聞けた。◆著書◆ (2)植木昭夫氏「万葉の心」。◆プロフィール◆ (3)藤沼敦子氏「プーシキンとロシアの音楽」。この演題で話されたプーシキンの詩による歌曲は、このあと岩崎能子氏のピアノ伴奏で石田美弥子氏が歌われた。 プーシキンの詩による3曲がそれだ。 「夜」(ルビンシュタイン作曲) 「たなびき流れる雲はまばらになり」(リムスキーコルサコフ作曲) 「歌うな美しい人よ」(ラフマニノフ作曲) (7日夜は梅田佳声師の「猫三味線」の公演がお江戸日本橋亭であり、今回は三味線がはいると言うので家人が見に行った。気合いが入り良い出来だったそうだ。ヴィデオの撮影をしていたという。知った顔は全くなく、集客のルートが違うようだと言う) 「太陽祭」が終わったあと、Liveの建て込みとゲネプロ。8日の公演が楽しみだ。 |
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2001年10月08日 11時40分41秒 |
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草迷宮 |
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10月になった、その日、シアターχで泉鏡花の「草迷宮」を観た。
三浦海岸・秋谷を舞台に魔界を演じる。演じる者が創り上げて行く舞台としての演出だと言うが、演出不在。せっかくの演技がまとまらず、方向性のない舞台になり、見るもののほうが危ない世界に踏み込んでしまう。 ことばの美しさはさすがである。群舞も美しい。私が作った縁台も登場して、なかなか良い。声が弱くセリフが途中で気化するのが残念。それに、セリフが早すぎると感じる。1時間10分、楽しんだ。 終わってからは例のごとく夕食。判る判らない、良い悪いととりとめない。東の宮さんもちらっと顔を出した。これから打ち上げだと早々に出て行く。我々の帰宅は11時。 眠いのですぐ床についたが、なかなか眠れず、そのうちにドアフォンがなり、応答にでたが、誰だかわからないまま切れてしまった。 |
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2001年10月05日 11時47分15秒 |