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酔い日は・良い日・の日記
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bon Chaise
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ガムランの鍋島氏が現れた。8月13日から20日まで「椅子展」をやる。出品者を数名集めたと言う。私にも出品するように勧められた、新作が出来れば良いが、無理なら、今まで作ったものでも良いからというので受けた。 2〜3日の内に作家たちのデータが来る。お盆休み、夏休み。帰郷する人が多い時だが、ホームページに出さなければ・・・・それより、私は何を作るか考えなくては・・・やはり、娑婆は忙しい。お面白い。
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2001年07月30日 20時32分35秒 |
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1週間ぶりで娑婆に戻れた。
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入院中、携帯MAILを利用しようと思っていたが、残念、病院内は携帯が使えない。で、諦めた。今日30日、1時半頃帰宅。MAILを開いてみたらなんと66通。必要な6通を除いてシコシコ削除。けっこう面倒だ。 入院中の1週間。入院は初めてだ。感じたり、考えたり、読んだりしたことが多かった。思い出しながらぼつぼつ書いてみようと思う。膀胱のポリープ(ガン)3っつは無事に摘出した。それより数十年かけてたまった心のバグをたくさん削除することが出来たのが大きな収穫だった。 このガンはすぐ再発するので、雑草をむしるように、こまめに摘出しなければならないようだ。 明日から会社に出て仕事だが、また毎日、日記を書き続けるだろう。 |
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2001年07月30日 20時18分21秒 |
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休養?
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7月23日から一週間ほど、人間ドック入り。生まれてこの方入院などということはしたことがなかったのに、やっかいなこった。まあ休養のつもりで、おとなしく、のんびりしてこよう。 |
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2001年07月22日 23時11分29秒 |
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来客
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2001年07月22日 21時34分12秒 |
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がんばれ野党
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選挙だ。政見放送がテレビに流れている。どう見ても野党は元気がない。ぼそぼそ、何を言いたいのか知らないが、覇気がない。これじゃあ小泉人気には歯がたたない。 久しぶりに元気な内閣が出てきたのだから、ここは一番、野党が思い切り食いつくチャンスだと、楽しみにしているのに、だめだめ。折角テレビで政見を述べるのに、だらしないぞ!チャンネルを回してしまうよ。せっかく政治に対する関心が高揚してきたのに、これじゃぁ萎えてしまう。 小泉内閣には具体策が無いと言い続けているが、攻める野党の面々こそ、だめだだめだと言っているだけで、どうしたらいいのか、何も見えない。学校の講義じゃないんだから、学のない我々が感動するような政策をずばり披露してもらいたいもんだ。 小泉さんは、自民党を変えます、というが、自民党イコール日本国だと言うのか。奢りがある。だが、こんな事を公然と言ってのけた党首もいない。野党は「自からも変わる」必要があるのではないか?誰もついていかないよ。 ワイドショウ・内閣に、ワイド症・野党じゃさまにならない。テレビには大橋巨泉も出てくるが、何とも冴えない。往年の冴えはない。老いた。だめだ。 |
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2001年07月20日 16時42分45秒 |
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環境破壊と世界制覇
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京都議定書はどうなる?ミサイル防衛計画はどうなる?ABMから離脱するのか?アメリカは孤立主義に走るのか?危ない! 日本はアメリカと手を組むことが国益なのか。サミットからは新しい局面は開けないだろう。玉虫色の決議を各国が内政向けにコメントするだけだろう。 構造改革という言葉が一人歩きして、本質を置き忘れてはいないか。ネコだましのような行動が目立つ。構造改革は日本の経済だけでは納まらない。経済だけが立ち直れば良いのではない。精神的に、倫理的に世界の構造を改革する必要を感じる。 欧米が世界をリードしているが、宗教的には一元だから、キリスト教の教義が絶対となる。だが、キリスト教は今の世界を救うだろうか。 侵略を正当化するため、強者が生み出した教義だと常々思っている。布教の名の下に教義に従わない者は滅ぼす。 私は聖書も読んだことないし、思いはただ印象的である。なんの根拠も理論も無いが、今西正次郎氏の「聖書の誤り」を読んで、私の印象もまんざらではないことを知った。 まず、神とは何か?人が作り出したシンボルである。神の像はすこぶるあいまいで、矛盾だらけだという。(聖書を引用しながら立証している)。人は土の埃から作られ、900年ほどの寿命であったが、神と交わり、生まれた者は次第に寿命がみじかくなり、ついには120年になる。そして邪悪になって行く。神はこれらの者を地上から一掃しようとする。神と契約を交わした者により、従わない者たちを虐殺し根絶していく。その殺戮は実に残虐である。これを旧約聖書の記述をたどりながら説いている。 この宗教を心のよりどころとして、世界を征服し、植民地を拡大し、大航海時代に森林という森林を切り尽くした文明が、砂漠を広げ、地球の環境を破壊していく。鉄を使い、肉を常食とし、止まるところを知らぬ人類の欲望が環境破壊を加速し、やがては滅亡の時を迎えるであろうという。(「環境と文明の世界史」石、安田、湯浅・著=洋泉社新書) 構造改革が日本の経済を建て直すなら、是非成功してもらいたいが、成長だけを期待するようでは困る。しっかりした哲学を持ち、世界をリードできる日本にな事を期待する。 |
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2001年07月20日 10時26分30秒 |
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自閉症の動物学博士
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次はテンプル・グランディン女史。自閉症の動物学博士で、コロラド州立大学の助教授であると同時に、事業の経営者でもある。 テンプルには、自閉症につきまとう3つの障害がある。社会的交流の障害、コミュニケーションの障害、遊び・創造的障害のため、人との関係が科学的、論理的側面に限られ、ある暗黙の了解を前提にして成り立つ友だちや恋人はできないかわりに、自然界、特に動物とのふれあいに特異な才能を発揮する。 とくに、家畜に対する思いやりに優れたものがあ。家畜の牧場や畜舎の設計には優れていて、これを事業化している。動物たちが何をして欲しいかを察知する能力が非常に進んでいる。いまでは、世界中の牧畜業界でテンプルの名前を知らない人はないという。 また、食肉の工場も経営し、いかにしたら家畜が苦しまずに死ねるかを第一に考えている。従来は、効率性を第一に考える業者ばかりであったが、テンプルは違っていた。屠殺場に通じる通路は高い塀に囲まれていあて旋回している。ここを通る動物は、先が見えないから安心して屠場に向かう。屠場では太矢を打ち込む空気銃が脳を射抜き即死するように作られている。コヨーテに喉をかききられた羊は8秒後にエンドルフィンが分泌され苦痛なく死ぬ。自然は死んでいくものに苦痛を和らげる仕組みを用意してるという。適切な方法で行われる屠殺は、自然界よりも人道的だテンプルは言う。 このテンプル博士は幼少の頃は、粘土の代わりにウンコで遊び、部屋中のまき散らす自閉症児だった。言葉も理解出来なかった。自閉症児は「発達が遅れ」、15歳頃からゆっくり回復に向かう場合があるという。テンプルの場合はそうだった。 だが、博士になっても、自閉症の症状は消えることがなかったという。 DR.サックスは、テンプルのドキュメントに火星の人類学者と題名をつけ、これを本の題名にもしているが、「火星の人類学者」と言う言葉は、サックスがテンプルと話している時、テンプルの口から出たものだ。 これをもってオリヴァー・サックス著/吉田利子訳「火星の人類学者」(ハヤカワ文庫)の読み終わりといたします。
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2001年07月19日 08時30分45秒 |
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自閉症の芸術家
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スティーヴン・ウィルトシャー。Dr.サックスが紹介してくれた自閉症の芸術家である。1974年4月4日、ロンドン生まれ。西インド諸島からの出稼ぎ夫婦の第二子。 自閉症の大多数は芸術家ではなく、芸術家の大多数は自閉症ではない。だが、スティーヴン・ウィルトシャーは自閉症の画家として名声を博した。幼少の頃から物まねが巧く、いつも絵を描いていたから「絵描きさん」とあだ名されていた。そしてスティーヴンは13歳で天才画家としてイギリス全土で有名になった。 小さいときから記憶力は抜群だった。一瞥しただけでその風景は脳裏に焼き付けられ、以後くりかえし描くことが出来たという。一方、形態模写や役者の声色などが非常に巧かったという。 多くの自閉症児は養護施設に入れられそこで腐ってしまう。スティーヴン・ウィルトシャーは才能を見いだされ育てられ画家としての活動が出来た例外である。 新しい画集のため、ヴェネチア、アムステルダム、レニングラードなど世界の国々を旅して膨大な絵を残した。 1993年。スティーヴンに音楽の才能があることがわかった。レッスンに立ち会ったDr.サックスは和音を歌い、ブルースを音楽教師イーヴ・プレストンと連弾し、6曲の即興演奏をするのを聴いて、スティーヴンの音楽的才能を知る。続いて「この素晴らしき世界」を表情豊かに歌う。最後に好きな歌を歌うことになり、スティーヴンは、トムジョーンズの華麗な冒険のテーマ曲「不思議じゃないさ」を陽気に歌いきった。 自己をかたちづくる感情の欠落がスティーヴンの自閉症だが、音楽の中では欠けているものを与えられたように見えたという。だが、残念なことに、音楽が消えるとともにそれは消えてしまうのだという。 演芸、音楽、絵画とあらゆる芸術分野に希有な才能を見せるが、そのヴィジョンは直接的で非観念的な世界を伝えているが故に貴重だが、深い感情や理論、世界観を持っているわけではないので進化する事はない。歴史に残る「傑作」は生まれないだろうとDr.サックスは結んでいる。 |
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2001年07月16日 23時22分13秒 |
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夢を描く画家
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多くの芸術、多くの神話は追放から生まれると言う。 イタリアはフィレンツェの西へ60キロ。トスカート州ポンティトに1934年に生まれた画家フランコ・マーニャの数寄な生涯。 ポンティトは豊かな村であった。43年、ナチスの侵攻と略奪。村の人々の多くは追放された。その1年前、フランコの父は事故死で他界した。 故郷を追放されたフランコは「もういちど母さんにポンティトをつくってあげる」と言い、村を離れる。強いホームシックにかかり故郷のイメージが鮮明によみがえることがしばしばあったが、25歳の時巡航船のコックになる。 しかしその仕事に満たされることがなく、31歳のときサンフランシスコに移住する。やがて原因不明の病にかかる。希望と不安が交錯する精神的危機、高熱、発作の中で見る夢には、故郷ポンティトの風景、家、教会、石組み、道などが細部に至るまで鮮明に現れる。 その夢が「わたしを描きなさい」「わたしに実体を与えなさい」と語りかける。フランコはそれまで絵を描いたことはないが、夢に導かれ絵筆をとる。描く。風景はもとより、家、教会、樹木、そして石畳の一枚一枚を克明かいていった。 フランコの日常にはポンティトいがいのものはなくなったので、友人は去り、ますます孤独になっていく。そしてポンティトを描き続けた。しかしそれは子どもの頃のポンティトである。 1987年、シュワルツバックという写真家は、フランコの描いた所を写真に収めた。フランコの絵と近似した写真が出来て、その記憶力を裏付けたが、絵の方が「大きく」「高い」。それは大人が見る今のポンティトではなく、こどもも目線でみた昔の風景だろう。 フランコには、寝ても覚めても故郷ポンティトの思い出が押し寄せる。フロイトはこういう状況を「記憶増進性ヒステリー(思い出に苦しむヒステリー)」と名付けているそうだ。側頭葉てんかんの症例とも認められる。 この症候群はドストエフスキー症候群とも呼ばれ、ヴァン・ゴッホもそうであったと言う。哲学的、宗教的、宇宙的事象への関心が高まり、その啓蒙への意識・使命感が高まると言う。 フランコはなぜこのような人生を送るようになったか。幼少時からいかに記憶力が良かったか。記憶が想像を生むメカニズム等々、Dr.サックスは克明に記述している。それをここに書き留めようとすれが、そのすべてを書き写すことになってしまうので省略する。 フランコは画家として高名になり、生まれ故郷はもとより、いたるところで個展がひらかれ、ポンティトにはフランコの絵数千枚を収めた美術館が出来たという。「もういちどお母さんにポンティトをつくってあげた」のだ。 われわれの中に潜む不条理を救うことができるのは、不条理を生きた者だけなのだろうか。 |
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2001年07月16日 02時43分53秒 |
| 「見えている」のに「見えない」 |
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つぎに、Dr.サックスが紹介してくれたは、限りない苦難を背負っているとしか思えないヴァージル氏。 第2次世界大戦勃発直後、ケンタッキーの小さい農場で生まれ、3歳の時脳髄膜炎、脊椎性小児麻痺、ネコひっかき病にかかり2週間昏睡状態が続いた。6歳になる頃重度の白内障で両眼とも視力を失った。明暗が判るので網膜は損傷していないから、視力を取り戻す可能性だけは残していた。 盲学校を経てマッサージ師になる。50歳になったヴァージルはエミーと婚約。そして視力を取り戻せる可能性を知る。 親戚の人たちは反対したが、ヴァージルは手術を決意。片目づつの手術で視力をとりもどした。約半世紀を盲目で暮らしてきた人生に別れを告げたが、喜びは束の間だった。 そもそも我々視力を持っているものには想像できない事だが、盲人は、触覚でものを部分を積み上げながら見ているのだ。触れながらものの形を認識していく。言い換えれば時間軸でモノを認識しているのだそうだ。視力を取り戻し、見えるようになると、いきなり空間全体が見える。全く新しい世界に生まれ変わってしまったのだ。見ているものを認識しようという場合、そのものに触って、見えているモノを触覚によって検証しなければ何を見ているのかわからない。距離感も全く無い。 大脳の半分は視覚のために働いているのだが、盲人の場合は、その働きを他の機能に代替していくので、視覚が戻っても、大脳は晴眼者の場合のようには働いてくれないそうだ。 赤ん坊が学習していく場合、何も知らないモノを少しずつ習得していくのだが、ヴァージルの場合、50年近く盲目で、生活には支障のない知識や認識をすでに持っている。そこえ視力が加わるので無数の未知が突然現れたことになる。見ているモノはなんだか判らないが、その判らないものはすでに知っているモノなのだ。混乱するのは当然である。 しかし、努力を重ね、見えたモノが何であるかを触覚で確かめながら次第に理解して行った。しかし、その努力は重い肺炎と言う病によってうち消されてしまう。 肺炎で生死の狭間をさまよっている間、血中酸素が不足し、二酸化炭素が過剰になる状態が続き、再び視力が低下する。だが失明したのではなく、見えるとき、見えないときがある。 盲目で築いた人生が、開眼したことでうち砕かれ、新しい人生に立ち向かったのだが、再び晴眼者としての人生を否定されたのだ。盲人としては死んで、晴眼者としては生きる自信も得られず、生きる場を失ってしまったのだ。 そして間もなく、完全に盲目の世界に逆戻りしてしまう。ほぼ50年、慣れ親しんだ盲目の世界に戻ることで救われたという。ヴァージルは、盲目を神からの贈り物として受け止め、落ち着いた生活に戻ることが出来たという。 例によって、Dr.サックスは、見えるとはどういうことか?視覚でモノを認識するとはどういうことか?脳の働き、精神病理的、哲学的にあらゆる角度から検証しながら叙述している。
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2001年07月15日 11時36分06秒 |
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母校で聴いた「植物科学の講演」
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数日前、達二(弟)からMAILで「植物科学を支える会・第4回講演会」の誘いを受け、今日(14日)行って来た。 会場は、母校早稲田大学の14号室地階。正門前から守衛所で校舎の案内を受けた。大隈講堂は意外に小さく見えた。周囲の建物が大きくなったからだろうか。会津記念館、演劇博物館、大隈重信の銅像。みな昔の位置と変わっていない。だが、これも一回り小さく感じる。校舎が立派に大きくなっているからだと言い聞かせながら、案内された校舎まで歩いた。校舎と校舎の間の並木は鬱蒼と茂り、林の中を歩いているようである。卒業してから、来年で50年、半世紀前の景観と重ねてその変化に感慨深いものをを感じていた。 卒業してから、この校庭を歩くのは2回目である。卒業してまもなく、まだ学生運動が盛んだった頃、何か用件があって行ったことがある。学生達がスーツ姿の私を遮って校舎に入るのを妨げた。刑事などの進入を恐れていたのだろう。何の目的で訪ねたのか記憶にない。 大隈会館や、大隈講堂にはクラス会や演劇を見に何度か行ったが、その時も校庭には入らなかったので、今日が2回目の母校訪問である。 さて、講演会はアカデミックな内容で、はっきり言って退屈だった。 テーマ1.植物の葉緑体の中の分子モーターと分子スイッチ/久堀徹氏(東京工業大学資源化学研究所) テーマ2.植物の情報伝達機能と21世紀型バイオ産業/吉田茂男氏(理化学研究所) テーマ3.植物の多様性と植物園の役割/邑田仁氏(東京大学大学院理学系研究科付属植物園=小石川植物園) 聞き終わって感じたことは、進化とは何かわからないということ。自然界と接するわれわれは概念による。植物でも動物でも人が進化を操作出来るようになると、概念からはみ出たものが無数に出来てくる。我々の概念はそんなに速いスピードで進化しない。そのギャップが遺伝子組み替え食品に対する拒絶となって現れたりする。あるいは本当に人類にとって有害な食品を創っているのかも知れない。1万年かかって自然界が変わって、それを食物として採っていた頃は人間の方も緩やかに対応できただろうが、短期間のうちに大量に生産される動植物が長期間のあいだに我々に有毒なものであったとしたら、破滅的な幕が下りることになるではないか!植物学も、動物学も共に環境破壊の片棒を担ぐようなことにならなければよいがと思う。
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2001年07月14日 20時55分50秒 |
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チックの外科医
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火星の人類学者、Drサックスの「トゥレット症候群の外科医」 チック症持ちの外科医なんて、危ないなと思いながら、まず、チックの説明を受ける。身体をよじり、顔をしかめ、奇妙な動作をして無意識に口汚く罵ったり冒涜的な言葉を口にする。そして、いろいろなモノにさわり、飛び跳ねたり、奇声を発したりする一方、非常に几帳面で、左右対称にモノが収まっていなければ気が済まないという性格が多いそうだが、決まった症状はない。 これだけ読めば、メスを持つ外科医が勤まるわけはないと思うのは当然だ。しかし、カール・ベネット博士は名医として信望を集めている。中術中にも身をよじったり、はねたりするそうだ。しかし執刀は寸分の狂いもなく、手際よくこなすという。 Dr.サックスもその手術を見て賞賛を惜しまない。食事に誘われ、ベネット博士が運転する車に乗ったが、ハンドルに対して両足が左右対称になるよう位置をきめ、フロントガラスに意味もなくさわり、運転中はしばしばハンドルから手を放したままで横を向いて景色を眺めているのでDr.サックスさんは気が気ではない。だがだだの一度も事故を起こしたことはないから安心しろとなだめるのだそうだ。 さて、Dr.サックスさんが帰る時、ちょうど同じ方向にある学校で授業があるので、送りますということになる。なんと、今度は自家用飛行機。サックスさんもさすがに顔色をなくしたが、ベネット博士は、飛行機は道を通らないし障害物も無いから自動車より安全だと力説する。 飛び立つ前の点検は何度も繰り返し、念入りだが、トゥレット症候群の患者によく見られる行動だ。無事離陸し、ロッキー山脈の遙か上空を越え、無事に目的地に到着した。めでたしめでたし! フィクションではない。こんな人もいるのだ。
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2001年07月13日 19時01分47秒 |
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精神病棟
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7月8日朝日新聞朝刊のTOPに5段抜きの見出しで「けいれん伴う電気ショック」。松沢病院で常態化しているという。ちょうど、Dr.サックスの本を読んでいるので気になった。 暴れたり、暴力を振るう患者を職員が数人で押さえ込み麻酔をしてからこめがみに貼った電極に通電してけいれんを伴う電気ショックを与え、それを4〜5日間続けると、患者は鎮静し数ヶ月は発作を起こさないという。麻薬や覚醒剤によって発作が起きる場合は麻酔をせず、通電する場合もあるという。 詳しいことは判らないが、けいれん電気ショック療法はイタリアで始まり、映画「カッコーの巣の上で」が告発して大反響を呼んだという。現在欧米では、麻酔をした上で、無けいれんで行われているという。松沢病院では院長も事務局も取材を拒んでいるようだ。 けいれん電気ショックは健康保険でも認められていて、他の療法の20分の1で済むらしい。120年の伝統を持つ松沢病院には重度の患者が集まっていて、最も手軽に鎮静できる方法で「松沢名物」と呼ばれているそうだ。新任の医師など、このまま患者が死んでしまうのではないかと思うほどすごいらしい。 何が良くて何が悪いのか、私には判断出来ないし、もちろんコメントもできない。だが、こういう患者がいることは確かだしそれを治療もしくは隔離しなければならないのも確かだ。
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2001年07月11日 18時56分27秒 |
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記憶喪失<2>
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F君のドキュメントに関連して、精神異常の治療についての恐るべき記述があるので、抜き書きしておこう。 人間の大脳は生まれた後7才くらいまでの間に発達するが、その機能と役割についての研究は曲がりくねったあいまいな歴史をたどり、未だにその全容の解明にはほど遠い。 1848年9月。工事現場の事故で1メートルもある鉄の棒がファイネス・ゲイジという労働者の頭を貫通したが、一時気絶はしたもののすぐに立ち上がって荷馬車を駆って町に帰り、そのご今まで通り生き続けた(この話は、以前テレビで放映されていたので見た人も多いだろう)。少なくとも「変化がないようにみえた」。医者もゲイジの性格の変化には関心を持たなかった。 事故から20年後、ケイジの症状が発表された。「ケイジから思慮、過去と未来への顧慮、他人への思いやり、行動の結果への配慮が消え去っていた」と言うのだ。 1880年代には、前頭葉の障害から自制力の喪失、精神活動の遅滞、慢性的な狂気を起こすと言うことが判ってきた。1930年になると、ポルトガルの神経学者エガス・モニスが鬱病、分裂症の患者20人に「前頭葉白質切截術」を施し、その論文が発表されると、その成果に関心が集まり、モニスが提唱した「精神外科」は全世界に爆発的に広がった。最も影響を受けたアメリカだった。 アメリカの神経学者ウォルター・フリーマンは「経眼窩ロボトミー」と名付ける恐るべき外科手術を考案し、1950年前後におよそ2万人がこの手術を受けた。
この素晴らしいロボトミーは瞬く間に広まったと。 「前頭葉白質切截術」を考案したモニスは1951年にノーベル賞を受賞した。 さて、現在の評価は、病状が改善したり治癒したのではなく、患者はただ無気力で従順になっただけで、もとの病気以上に健康とはほど遠い状態になり、もはや絶対に快復しない状態になる。「治療」ではなく「殺害」であると言う。 今日、頻発する凶悪犯罪は、多くの場合精神異常ではないか?法で裁かれ無期懲役や死刑になる者もある。目玉からアイスピックを突っ込んで脳をかき混ぜれば二度と犯罪を起こさない人間になるとしたら・・・こんなことをどこかでだれかが議論しているかもしてない。 社会は犯罪を内包している。教育によって犯罪者を減らしていこうというアプローチから、脳の構造や働きに直接施術して悪を断つ時代がくるのかも知れない。哲学も、宗教も科学も、底の底まで研究し尽くしても、結局結論を得られないファウストの苦悩は、いつまで経っても消えることは無いようだ。 |
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2001年07月11日 15時26分54秒 |
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記憶喪失<1>
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逆行健忘。脳の側頭葉の記憶システムが破壊され新しい出来事が記憶出来なくなる。 グレッグ・F君は豊かな家庭に育った。音楽の才能に優れ、学校では常に優等生だった。しかしヒッピーがアメリカ全土を覆った1967年からF君はLSDをやりドラッグ・カルチャーに染まっていった。クリシュナ教団に入り、敬虔な信徒となり、「悟りを開いた解脱者」と言われ、教団の重要な役割を果たすまでになった。しかしその頃から視力の衰えを訴えはじめたが、教団指導者のスワミや仲間達は「精神的な明知を得た」「内なる光が強まった」などと言い、F君はそれを納得する。だが以後視力は衰え続け、ついには失明してしまう。 大脳に大きな(グレープフルーツくらい)腫瘍が出来ていた。手術で腫瘍を取り除くことには成功したが、すでに側頭葉の記憶システムが破壊され新しい事を記憶できなくなっていた。今話していることも次の瞬間には忘却の彼方へ消え去り、何一つ思い出すことはできない。 だが1960年代の事は鮮明に憶えている。特に音楽については驚くべき記憶力だという。中でも最も傾倒していたグレートフル・テッドの音楽はその歌詞をすべて諳んじていて、ギターを弾きながら歌うことができる。バンドのメンバー一人一人も記憶していて語りはじめると止まる所を知らずで、またニューヨークの街についても驚くべき正確さで話してくれる。とても異常がある者とは思えないと云う。 ただ、これらの話はすべて昨日のこと、去年のこととして現在形で語られ、時間の経過はない。経過した時間は圧縮されて無くなっているという。 件のグレイトフル・デッドのライヴを聞けるチャンスに著者はF君とそのコンサートをマディソン・スクゥエア・ガーデンに聴きにいった。終始興奮して聴き、共に歌い充実した一時を過ごしたのだが、翌日その話題になると「グレイトフル・デッドはさいこうだよ。僕はセントラルパークに聴きに行ったことがあるんだ!」というので、著者が「なにいってんだい?きのうマディソン・スクゥエア・ガーデンに聴きにいったばかりじゃないか」というと、F君「いや、僕はセントラルパークしか行ったことがない」。 |
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2001年07月11日 15時25分51秒 |
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グレイスケールの世界
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ろくに雨も降らず、早くも梅雨明けの話がちらほら。 50歳になって、交通事故で色盲になった画家の話。脳しんとうを起こした後、すべての色を失い、世の中すべてグレイになり、失望の底からグレイの世界で画家として蘇る。感動的な話として書かれているのではなく、人間の可能性と環境対応力を説いたノンフィクションである。 著者は脳神経外科医のオリヴァー・サックス。火星の人類学者という本の第一話。 色とは何か。人は色をどう認識しているのか。色のない世界とは。などなど、スピノザ、ニュートン、ゲーテ、ショーペンハウエル、ヤング、ヘルムホルツ、マックスウエルなどの色彩論を説きながら、脳がどのように色を捉えていくのかを説き、クライアントである色を失ったジョナサン・Iという画家の自己との葛藤を描きだしている。 最後に、色盲は治るかも知れないとI氏に告げるが、I氏は治療を断る。色を忘れてしまった自分を再び色のある世界に置くことは耐えられないというのだ。
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2001年07月10日 18時04分07秒 |
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雨が欲しい
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天気予報によれば、今週も雨は降らないようだ。 農政にも大改革が望まれる。荒れた田畑は日本列島の自然循環に悪影響をもたらし、森林破壊と相俟って近海の漁業にも悪影響を及ぼすという。 |
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2001年07月09日 08時31分05秒 |
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平塚市・七夕祭 今日も空梅雨、良く晴れ、湿度も低くそれほど暑さを感じない。酒天牛氏と平塚駅改札口で待ち合わせたのだが、モノスゴイ人出で立って待っていることが出来ず、やむ終えず階段を降りて20分ほど待ったがとうとう逢えないまま、一人で街へ出た。
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3っつめのトランペットフラワーが咲いた。 |
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本当に花が少ない季節で、屋上には花らしいものがない。 |
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2001 |