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2000年11月 |
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| 11月も終わり。この日、待望のAYADOコンサートINオーチャードホール。渋谷駅からホールへの道を急ぐ。いや、この通りは急げない。若者がみっちり詰まっていて、流れがゆったりしている。急ぐ者などいないのだ。 7時開演の前20分到着。知った顔に出迎えられて客席に着く。空席が次第に埋まり、開演のベルが鳴る頃には満席。客電が落ちるとピアノが幕の中で鳴り、幕が左右に割れて、綾戸さんのソロ。しぶい幕開きだ。何曲か進むうちに、軽快なトークが入る。歌う声が綺麗だ。あの高い声でのかすれたビブラートはきえた。声が以前より澄んでいるように思える。レパートリーにも幅がある。聴衆も以前より若い。ジャズシンガーAYADOのファンが次第に若くなっていくのか、ジャンルを広げるAYADOのレパートリーが客を若返らせているのか。 ラテンのリズムでステップを踏む頃になると、そこまでやって大丈夫かと心配になる。身体がもたないよオ!こわれちゃうヨ!この日がツアーの最後のようだが、猛烈なパワーだ。歌が上から降って来る。体中にしみ込む。 最後にクワイヤーが登場。レット・イット・ビー。知った顔が何人も。M君は丸い顔をクチャクチャにして、Yちゃんは幸せいっぱいのニコニコ顔で上を向いて!Oさんは大きな体をゆすって堂々のプレゼンテーション。顎がはずれそうに大きい口でN君。すごい。手を高く上げてハモルと、一人一人は消えて、ホール一杯に音が充ちた。背筋がジーンと痺れるのを感じる。いやあ、すごかった!よかった! 帰りに、駅の近くの飲み屋で夕食をとり、帰宅は11時半。良い日だった!ありがとうAMC!ありがとうAYADO。 |
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2000年12月01日 16時07分17秒 |
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| 平成ガラス野郎・TAKUMAが持ち込んで展示した、ぼろぼろに錆びたドラム缶やトタン板、流木を組み合わせて作った台などが、頭を中に居座っている。なぜか少年時代が甦ってくる。なぜだかわからない。野原で虫を追いかけて遊んでいる自分の姿が見える。そこにはいつも錆びた針金や、ブリキ板がころがっていた。どこと特定はできないが、ここ四谷のどこかである。家の裏の空き地や、近くの土手で遊んでいたから、そこには危ないものがたくさんころがっていたに違いない。太平洋戦争の前、錆びた時代だったのかも知れない。 錆びてぼろぼろ穴があいたドラム缶などが懐かしい人は少ないだろう。それを珍しい物のように拾ってきて、自分の作品を展示する場に持ち込んでくるTAKUMAという若者に親しみを感じる。あるいは、我が少年時代と同じように、現在が錆びているのだろうか。 オレンジ色の梨袋を霞アミに入れてホールを埋め尽くした藤原さんのインスタレーションは抽象の場を構成したが、TAKUMAのインスタレーションは具象の世界だ。どちらも意味を持たない。意味を持たないものは理解されないことが多いだろう。どちらも非日常的なパワーで自分の生活に対峙する世界に導いてくれた。 日が昇り、日が沈み、変わりない毎日の中で、心なごみ、ふと立ち止まる場を見せてくれる人は、自分にとっていい人である。また、いい作品を見せてもらいたい。 |
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2000年11月30日 16時44分26秒 |
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| 昨日の風は寒かった。「TAKUMA」のガラス工芸展で、ホールに落ち葉を敷き詰め、錆びたドラム缶やトタン板を持ち込んだので、木枯らしを呼んだのかも知れない。 森総理が、また、失言をしたようだ。「コップの水は飲むもので、投げたりしてはもったいない。だがそうしたい気持ちは分かるような気がする」。物言えば唇寒し秋の風だ。そして、これに噛みついた野党の面々。国会議員はいったい何を職業としているのだ!冗談じゃないよ。 また、窃盗係りの警官が、空き巣狙いの常習犯だったというニュース。日本の国中堕落している。だから、株が暴落するよ。世界は日本の茶番をどう見ているのだろう。変な国の株や通貨を持っていては損をすると売りまくっているんじゃないですか?株が下がっては困るので、持ち合い解消を見直した方がいいとなどと発言する政治家に銀行がとまどっている。変だよ。 我が家の屋上では、尾花が茫々と寒風になびき、日本の現状に耐える我々の姿を演じている。今年もあと1カ月で終わる。 |
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2000年11月29日 16時35分18秒 |
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おいしい!あまい!やわらかくて!・・・ そもそも、グルメなるものが好きではない。口に入れた時、いきなりおいしいのがグルメなんだ。噛めば噛むほどおいしいというのはグルメとは言わないのだろうか。煮たり焼いたり炒めたり、なにもかも平均的な、万人の口に合うように研究し、腕を振るう。そうしなければお客が来ない。売れない。仕方ないよね、それは。問題なのは、ここがおいしい、とか、こうやって作ったものがおいしいと言われて暗示にかかって、その店やその味が主流になっていくのではないかと思われること。昼飯はどこで食べても化学調味料の味。やたらに甘いおかずが多い。そのなかにかすかに材料の味が覗いている。そんな味が蔓延している。食材の味を引き出すための調味料ではなく、調味料の味を引き立てる料理だね。 醤油にも、味噌にも、ウイスキーにも、ビールにも、緑茶にも、化学調味料が入っているようだ。だからいくら嫌だと言っても、私の味覚はすでに調味料に合うように去勢されてしまったのだろう。すべて最大公約数の中に入っているのだ。「グルメ」はそれを壊すことは出来ない。 |
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2000年11月29日 11時39分40秒 |
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毎朝のご飯に赤米を一握り入れて炊いている。赤飯のような香りがありおこわのような食べ応えのあるご飯になる。おいしい。赤米は古代米だそうだ。だいぶ前にどこからか頂いた米である。 いま、雑穀ブームだそうだ。ヒエや粟が注目されているそうである。まず言わせてもらえば、ヒエやアワを束にして「雑穀」と言うのは気に入らない。我々は戦中戦後を通じて米以外をそう呼んだり、代用食などとも称していた。米が食いたくても食えないからやむを得ず「雑穀」を食した。ところが、今は豊饒の時代。毎度ギンシャリじゃ能がない。ちょっと趣向を変えて、ふだん食べない「雑穀」が珍しい。どちらも雑穀などと十把一絡げにしては可哀想だ。 |
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2000年11月28日 17時26分30秒 |
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アノインティ・マスクワイア・東京(AMC)がコア石響で実質的に活動を初めて一周年になると言うので、11月30日、Ayadoさんのオーチャードでのライブにご招待された。思いがけないプレゼント、ありがとう! コア石響から羽ばたいていくグループの活動を見るのは楽しい。聞くよりも歌う。見るよりも演じる。そんな人達がもっともっと増えて欲しい。それが文化の基盤だと思うから・・・。 そしてAMCの機関誌「東京日和」の初号も出来た。力の入った編集だ。大勢の人がかかわって、これだけまとめるのは、さぞ大変だったろう。 このAMCというグループは、歌が好きというだけで集まったと言うが、純粋で、社会常識を備えた気持ちの良い人達ばかりだ。 30日、オーチャードの舞台を楽しみにしています。ありがとう。 |
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2000年11月23日 22時47分39秒 |
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11月23日は娘・美延の「ん」歳の誕生日。ボーイフレンドも初登場。 子供たちが集まってお誕生会。鯛の塩竃。ミクニのケーキにはおじいちゃんと娘の年齢マイナス2桁のローソクを立ててハッピーバースデー! 孫・サンタたち(おじいちゃんの曾孫)も、ひと回り逞しくなってお祝いに駆けつけたと言う次第。 満腹した孫たちは、段ボール工作や、絵本を見ててんでに楽しんでいた。 OH!今日は良い酔い日ではあった。 |
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2000年11月23日 22時22分50秒 |
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| 昨日21日、古典四重奏団の「モーツァルト」を聴いた。ハイドンセットから2曲。例によってものすごく活きた演奏だ。 久しくモーツァルトを聴いていないので、これがモーツァルトだったのかと、初めて聴いたような新鮮さがあった。 前日まで美術(インスタレーション)で活きていたホールが、きょうはハイドンセットのナマ音で充ちている。こうしてホールは育っていくのだ。今日22日はゴスペルが響く。そして25/26日には「ことば」の舞台になる。 ジャンルを超えていろいろなイヴェントに触れていると、音楽を音で聴かず、絵画を色や形で感じることが少なくなる。例えば、ハイドンセットの2曲を聴いていると、成熟した裸婦の絵を見ている人の心の動きを感じたり、また、草原に、未来を夢見て疾走する少年が走りすぎたのかと思う。そして、その一曲が終わると、人々のなかにいつもながらの自分がいる。 視覚と聴覚の違いは何だろう?目で見るものは具象だが、音楽は抽象である。抽象でありながらそこから具象的なイメージが拡がる。それは正しい音楽の聴き方ではないと言う人がいるが、それなら、私は正しい聴き方を放棄する。人の心や、自然の中にいて、そこに鳴り、そこに響く音を感じるのが、今の私にとって音楽の楽しみだから。 |
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2000年11月22日 18時21分18秒 |
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毎回「土」をテーマに作品を作っているが、ここでは昨年に続いて2回目。今回は「臓器なき器官」。育む土の命がテーマだという。オレンジ色の梨にかける袋3000枚と、これもオレンジ色の霞アミで構成されている。(霞アミは今は使用禁止。防鳥アミと言うそうだ) 17日には藤田絢三さんのサキソフォンの演奏がジョイント。「藤原さんの作品を観ると、吹かずにはいられない」というサキソフォン奏者で、前回も今回も即興演奏。教え子たちも大勢来場、こんな贅沢な、空間でサキソフォンを聴くのは初めてだと好評だと感激した様子だった。 19日、展示が終わってから作品を記録するため写真に収める、徹夜で撮影。20日もその続き。21日の朝、やっと「ありがとうございました。終わりました」と3階へ顔をみせた。我が方はまだ朝飯前だったが、話が弾んで別れたのが10時。食事もそこそこにして出勤した。 |
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2000年11月21日 17時43分16秒 |
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朝、チャイムに出ると「宅急便」だという。段ボールが2つ。おじいちゃん当てが一つ。うち宛が一つ。 玉川さんからは隼人瓜だ。 みそ漬けも入っている。神奈川新聞の記事もある。手紙が添えてある。 聞くところによれば、ご自宅は建物がすっぽり隼人瓜に覆われてしまっている由。今年はざっと1200個の収穫だそうだ。一本にこれだけ成るのは珍しいようだ。豊作である。 煮ると冬瓜のように軟らかくなり、みそ漬けや、ぬか漬けにするとかりかりした歯ごたえが魅力だ。早速並べてデジカメした。 もう一つのおじいちゃん宛は、親戚からで、柿と佃煮がたくさん入っている。好物を知っての心遣いに大喜び。にこにこしながら、いつも頂くばかりで申し訳ないと・・ |
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2000年11月19日 10時50分50秒 |
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![]() 朝から抜けるような快晴。おじいちゃんは藪本さんの車で黄葉撮影に出かけた。 迎賓館前ではユリの木、外苑ではイチョウ、新宿では高層ビルと作品を撮る。 昼。ニューオータニでサンドイッチ・バイキングをご馳走になり、食後はホテルの庭の散歩。陽が高く、光の状態が悪いと言って、ここでは写 真は撮らない。帰宅まで約3時間のツアーだった。疲れたようだが、すぐコタツに入って居眠り。「元気になったよ!」。久しぶりのお散歩だった。 ![]() 一服してから銀座ほ画廊巡りへと出発。3時。まず、京橋のギャラリー川船へ。真島直子展。 4Bの鉛筆だけで書いたという気が遠くなるような細密な絵と、木工ボンドで布や糸紙を固めた彫刻(と言っていいのかどうか分からないが・・・)。絵と彫刻は、同じ人の作品とは思えない世界だ。 4Bの鉛筆の筆圧による濃淡と、線の粗密だけで畳み一畳を越えるような大作が数点。稲穂が風に靡くような、竹林を遠くに見るような、生の肉が切り裂かれたような、そのすべてが隈無く埋め尽くされている。 ボンドの彫刻は、魚のようでもあり、内蔵のようでもあり、血管とも内蔵とも見える造形は、ピンク色で可愛くもある。表面 は、海岸の岩に着いたイソギンチャクを思わせる。見ていると時間が経つのを忘れる、そんな対峙であった。 続いて京橋のギャラリーくぼたの旧軌会展へ。旧多摩帝国美術学校出身作家の集いというのだが、作品は若い生命感にあふれている。当然のことだろうがみんな達者な作品揃い。 続いて銀座のkeyギャラリーへ。横山君からの案内で。発表の場を求める若い人達がそれぞれ持ち寄った作品が並ぶ。習作展といった感じを受けたが、一生懸命な描きぶりが伝わって来きた。 好天に恵まれた良い休日ではあった。 |
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2000年11月19日 08時22分18秒 |
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料理番組は見て面白い。だから良く見る。旨そうだと思えばすぐ作ってみる。 環境破壊を率先して見せているTV局に反省を促したい。 ムダがダムを作るんだ。ギャグのつもりかも知れないが、洒落にならねいね。 |
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2000年11月17日 16時46分19秒 |
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きょう(14日)は風邪で遅刻。 とにかく世の中にはいろんなことだらけである。いろいろな事に興味を持つのはいいが、海岸で砂を一粒ずつ手にとっているようなもので、限りない。 我がホームページはどうやら真っ黒けを脱出したようだが、何もしないのに直ったので、原因はわからないまま。またなるかも知れない。なったら、また、分からない。 おじいちゃんの健康はどうもすぐれない。毎朝、調子が悪いと言う。97歳になればどこか調子が悪いのは当たり前だなどととりあわないので、それが、また、気に入らないようだ。3度の食事がおいしくてしょうがないのも不思議がっている。まあ、健康なのだ。 |
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2000年11月14日 17時43分46秒 |
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このお酒はとても旨いと言って下さる方が多い。頂いたら、すぐ飲んでみる。それぞれに、これまでに口にしたことのない旨みとと香りがある。 いま口を開けてあるのは「明鏡」(一升瓶)と鷹来屋という銘柄。 どちらかと言えば昔風のちょっと糠臭いような香りの酒が好みだが、酒屋さんに言わせると、そういうお酒は今は売れないのだと言う。口当たりの良いワインのような香りが主流だそうだ。 どんなお酒も、気のあった仲間とわいわい言いながら飲めば最高。酔い日は良い日となる。 |
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2000年11月14日 14時37分34秒 |
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| 11月の講談の稽古は9日に決まる。 もう何年やっているのだろう。ちっとも上達しない。稽古をしないのだからあたりまえだが、時間とお金の浪費だ。と、いつも稽古日が決まったときには「今度は少しでも練習しておこう」と思うのだが、それでおしまい。その繰り返しである。 今度も、同じだが、ホームページで送料無料で本が買えると言う宣伝につられて、大塩平八郎の時代(書名は正確ではない)¥2940を申し込んだ。2〜3日で届くようだ。楽しみに待つことにしよう。 |
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2000年11月13日 19時31分57秒 |
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スパゲッテイを食べて満腹してイタリアンコーヒーをのみ、きれいな花柄のナプキンで口を拭い、満足々々!そんな味のいい芝居だった。 別荘に集まった有閑マダムがご近所の噂でもちきり。老姉妹とその娘が一人。娘は別荘の離れにいるらしい、食事は老姉妹のどちらかが運んでいる。「どちらの娘さんか」が話題の中心で、老姉妹のことなど分からないことばかり。真実を知りたいと詮索している。 第二幕でその老姉妹が交互に登場するが、有閑マダムが知りたがっている真実はますます不可解な方向へ進む。「どちらの娘さんなのですか」という問いにちぐはぐな答え。最後に当の娘が登場し、両方とも母であると告げる。それでいいのです。これ以上かかわって頂きたくない。満足しているのですから。真実などどうでもよい。と言うところで暗転。拍手。と、すかさず明かりが入ると、派手な衣裳。フラダンスを習い始めると言うところで終わり、カーテンコール。 ピランデルロの本を元に、交通事故の悲劇を柱に脚色した作品。台本・市川夏江。演出・原田一樹。女優だけの芝居だ。 ピランデルロの作品は読んだことはあるが舞台を観たことはない。頭の中にあったピランデルロは、もっとテンポの速い会話劇だと思っていた。今回はややはぎれが悪いように感じた。 老姉妹を演じた目黒幸子さんと市川夏江さんが出色。目白の「アイピット目白」で。 |
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2000年11月12日 19時42分45秒 |
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| すべての害虫は、自分を害虫だとは思っていない。 (邪悪な者は自分を善人だと信じている) |
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2000年11月11日 22時57分14秒 |
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井ノ上展で明治大学でスポーツと言葉の研究をなさっている先生にお会いした。 井ノ上先生の展覧会は初めての方だが、展覧会が12日までなので、今日しか拝見する時間が無かったとおっしゃる。 結論は、スポーツはコミュニケーションだということ。応援する方々は、選手を応援することで、自分を応援しているのだそうだ。 あるマラソン大会でゼッケンの前には数字を、後ろは空白のままにして配り、その空白に参加者がそれぞれ自分の好きな・或いは自分で作った格言を書き込む。「お先にどうぞ。またあとで」と言った具合。こうすると、途中で抜いた人・抜かれた人がよく分かり、完走後知己の人として格言をキイにして話題が弾むのだそうである。なかなか面白い話しである。 新格言マラソンは、競技中、相手(敵?)と対話しながら走っているので疲れないのだそうである。 この先生、元々短距離のランナーだったそうである。 スポーツと言葉の研究をなさっている。いまその研究の成果をまとめ、原稿執筆中、近く出版されることになっているとのこと、その節は是非読ませていただこう、楽しみである。 |
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2000年11月11日 22時47分46秒 |
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11月7日。朝から雨で肌寒い。デジカメを持っていくのも面倒なので駅の「吊し柿」の撮影はやめにした。 まあ、考古学者もいんちきをやってまで手柄をたてたい時代だから、センスが悪い位は大目にみなきゃなりませんかね。 昨日は帰ってみると女性客が4人。かみさんを加えて5人の女性の囲まれての夕食だ。2人ずつが組んで別々の話に花を咲かすから、間に挟まったこちらはたまらん。ビールのまわりが早く早々にダウン。それでも、金沢育ちのSKさんと十間町や片町の話で盛り上がった。<BR> 我が家の界隈は道がわかりにくいということから、金沢の道も分からないという話につながったのである。 |
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2000年11月07日 18時09分37秒 |
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11月、月初の連休明けの月曜日は、朝からいろいろな事件があった。 その1。デザイナーのトラコから「柳沢さんが12チャンネルに出てるよ」との電話。チャンネルを合わせると「規制緩和」の解説役として堂々の出演。 その2。会社へ向かう途中、もとチュニジア大使館のあったあたりに警官が十数人。警察犬が道路を嗅ぎまわり、道路は歩行者も通行止め。ポリ袋に黒い男のクツが片方入って、それを警官が犬に嗅がせながら細い路地に入って行った。 その3。地下鉄・四谷駅のホームに入ると、反対側・新宿方面行きホームの真ん中辺りに「干し柿」100個ほど吊してある。「秋の風物詩・吊し柿」と書いてある。昨年、大根を干して一躍話題を集めたのに味をしめてか、今年は柿を吊したのか?この駅は吊しを趣味とする駅長か助役がいるのだろう。だが、やはり大根吊しの方が迫力の点では数段上だ。 今朝は、出がけに「たまにはデジカメを持って行こう」と思ったが、携帯電話もデジカメもバッテリーの充電中で置いてきた。残念なことをした。警察犬(カッコよかった)の捜査現場と吊し柿の風物詩が撮れたのに!携帯電話もなく、現場から家へ自慢げに状況説明も出来なかった。やむなく会社に着いてから電話をした。 |
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2000年11月06日 12時36分13秒 |
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5日。恒例、井ノ上画伯の「油絵展」が始まる。今年は阿蘇連山の絵が加わったこと、雪山の絵が少なく、春の山村風景が多い。 「何の変哲もない風景を描く絵描きは、ほとんどいませんよ」と井ノ上さん。どの絵も自ら足を運んで描きたい風景に出会うまで探し求めるのだそうだ。 シベリア抑留当時、収容所の廊下の壁にかかっていた古ぼけた絵に生きる希望と意欲をかき立てられ、煤を練り、煉瓦を砕いて絵を描き始めたのがこの道に入ったきっかけだそうだ。澄んだ空気、不動の山。人の作った家や田畑。一枚の絵に命が描き込んである。じっと観ていると心が和む。強烈な自己主張がなど全くない。だから、毎日見ていて飽きることのない絵だ。 その初日、足がふらつくと言って散歩に出ようとしないおじいちゃんを開場まで連れだした。球磨川を描いた大作の前で釘付けになってしばし感嘆するおじいちゃん。目の保養になってよかったと喜ぶ井ノ上画伯。絵というものは、そういうものなのだと思う。 |
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2000年11月05日 23時34分21秒 |
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![]() 3日。純正律のコンサート。マイクスタンドが行方不明になって、ホールから機材置き場を探しまくった。 結局、その前の利用者が誤って他の機材の袋にしまっていたことが分かり、一件落着。 この騒ぎの中、機材置き場にアオスジアゲハが落ちているのを発見した。ほとんど完全な姿で死んでいる。早速ひろいあげて、MOディスクのプラスチックケースに収めた。 |
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2000年11月05日 23時32分58秒 |
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| 11月2日。テアトル銀座で音楽座の「メトロに乗って」を観る。音楽座は初めてである。 まさに音楽劇。オペラでもミュージカルでもない。 第二次世界大戦から現在までをタイムトリップしながら、親に抱いていた恨みを綴り、最後にはその親を理解する。戦場で命を張って数人の人々を救った親父。その父親と救われた人たちを中心にストーリーが展開する。親父は大企業を築くがマイホーム・パパではなく、家族に理解してもらえないまま大動脈破裂。そこから幕が開く。 現在の避けられない不条理を描き出していて面白い芝居だった。 朝倉摂の舞台装置も見ものだが、やや勝ちすぎの感あり。舞台狭しと動き回る舞台装置がうるさく感じた。オペラではないので仕方ないが歌が単調。AVが耳障りだが大劇場では仕方ないかも知れない。すべてが大劇場向きによくまとまっている。観ていて面白いのが何よりだ。主演の役者は別として、粒よりと言うわけにはいかないが、役をよくこなしている。(音楽はイマイチ)。銀メダルと言ったところだ。休憩を入れて2時間半。長すぎた。 帰りに酔詩家(スージーハウス)で食事。ここでMOMOさんにあった。一段とスリムにきれいになったよ。 |
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2000年11月04日 16時46分03秒 |
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| 11月は美術の秋。ホールにも絵画展が多い。画廊としての運用は、ロードが軽いので楽だ。 おじいちゃんの調子はあまり良くない。毎朝、手が不自由だと言って起きてくる。毎日だと応答に困る。 1日は水曜日でAMCの稽古の日。AYADOんが来られたそうだが、会えなかった。AMCのメンバーの言によれば、痩せ細ってシンドそうだった由。過密なスケジュールをこなしているのだからいたしかたない。 |
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2000年11月04日 15時48分56秒 |