酔い日は 良い日の 日記10月

がんばれ・おじいちゃん

 おじいちゃん、ちょっと弱ってきた。気候の変わり目のせいもあるが、右半身に違和感があるようで、真っ直ぐ歩けないとか、ふらつくとか訴えることが多くなった。きょうは、散歩に連れ出して紅葉の写 真を撮ってもらうことになっているが、その結果はどうかな?都心はまだ紅葉などしていないけれど、家にこもりがちなので、明日はもっと色づくからと激励しようという段取りで、そのうち、散歩をエスコートしたものがおじいちゃんにお昼をご馳走になるというプログラムも企んでいる。 2000年10月31日 19時45分11秒

EK氏逝く。

 25日、T.E氏没す。
 2週間前に見舞いに行ったのが最後だった。
 29日通夜。冷たい雨の中を中野のお寺まで歩いた。雨を凌ぐテント4張り。すでに弔問客が一杯で折り返しながら並んでいる。丸い電球が二列に焼香の場へまっすぐに並んでいる。スピーカーから読経が流れている。
 祭壇は白い菊が敷き詰められ、やや間隔を置いて赤紫の蘭が色を添える。
 その真ん中に遺影。あの顔だ。もうこの世の人ではないのだ。話も出来ない。酒も飲めない。昔の事すべてが一瞬のうちに頭を走り抜け、一万本もあろうかという白菊の中に吸い込まれて行った。遺族の前を通 り、おときの席でいろいろな顔に出会った。

 30日。朝からの雨はあがって、秋の空が拡がって行く中、お寺に着く。弔問客は昨日よりやや少ない。あの丸電球は今日も二列に真っ直ぐ祭壇へ続いている。弔辞が読まれ、弔電が読まれ、焼香が始まった。遺影、あの顔は昨日と同じだ。焼香を済ませて境内に立ち、一時間ほど、椋鳥の鳴き声を聞きながら、秋の穏やかな陽射しがあふれる山門の下で待つ。激しい生涯を閉じた人を送るには穏やかすぎるひとときである。艶のある楠木の葉が秋の陽に輝いて見える。逆光で青空に伸びたイチョウのシルエットの向こうに掃いたような雲が静かに流れている。
 出棺の時が来る。葬儀委員長に続いて喪主の挨拶があり、霊柩車のクラクションを合図に出棺。葬儀は終わった。

2000年10月30日 18時29分11秒

赤鬼先生

 おじいちゃんの手足のしびれは少しずつ回復しているようだが、まだ散歩には出られない。
 軽い脳梗塞だろうと素人判断していたが、22日、我が家で信頼を置いている赤鬼先生に診断してもらうことになった。やはり加齢に伴う脳梗塞だという。血圧や糖尿は全く心配ない由。

 診断が終わってコーヒーを飲みながら雑談。ガンが消えた話を聞く。病気と言うものは自分で作るものだそうだ。生活習慣とか不養生・不摂生と分かっていても避けずに生きてきた結果 、病気になる。それが癌となるとショックだ。だが、自分で作ったものだから、仕方ない、一緒に仲良くしようという気持ちになれば、進行は止まり、直ってしまうこともあるそうである。
 信じがたい話だし、そんな気持ちになれる人は希だから、希な例の中の希な事実なのかもしれない。赤鬼先生が体験したのは、2回の手術のあと再発した乳ガンが今度は手術せずに完全に消えたしまったという事実。ほんとかいな!

2000年10月24日 05時27分53秒

村井しげるさんと

 飲み過ぎ、寝不足が続くから昼は眠い。村井しげるアコーディオン・コンサートのヴィデオを撮りながらスーッと居眠りが出る。

 ソニーのデジタル・ヴィデオ・カメラがこわれた。テープが回らない。静止画を撮って止まってしまう。仕方なく8ミリ・ヴィデオ・カメラをテレビにつないで撮ることにした。このやり方はなかなか難しい。今のカメラは省エネ機能が働いて、テープが廻っていないと数分で電源が落ちてしまう。京セラのサムライには幸いこの機能がなかったのでなんとか最後まで撮ることが出来た。画質はデジタルに較べるとかなり落ちる。

 歌は世につれ・・・と言う。ある時代にヒットしては消えていく。その歌を懐かしむファンがいる。新しいファンは生まれない。客は高齢化する一方である。時代を超えて歌い続けられる歌は少ない。だからレパートリーはいつも同じになってしまう。しかし、村井さんの人柄ともどもファンは満足する。

 年老いると足元がおぼつかなくなるが、演奏も同じ。巨匠といわれたホロビッツにしてもよれよれの演奏を聴かせてくれたことを思い出している。ボロビッツだと酷評されたかと思うと、ある評論家先生はこれぞ世紀の巨匠が聴かせた最高の演奏だと絶賛を惜しまなかった。私はこれを読んで、ブランド志向だと思った。最近、講談の小金井芦州をNHKで聞いた。これもひどかった。しかしこの場合も、感動して涙を流した人も居たに違いない。芸人を支えるファンは客観的に聞くわけではないのだから。消えることを惜しむ人たちに囲まれている芸人は幸せである。消えることを惜しみ古い歌を発掘し続ける村井さんの努力はまた人を惹き付け続けるだろう。そうあって欲しい。意義のある演奏会である。>

 ギターの演奏も素晴らしい。同じ世代を生きたアーチストだけあって、呼吸がぴったり合っていた。

 演奏会が終わって恒例の打上。例によってアコとギターも加わって、いつ果 てるともない宴会になった。当然のことだが、アコもギターも水を得た魚のように活きいきして場を酔わせ、本番を上回る席になった。参加者は12名。うち3人は初参加だが、その場の雰囲気に魅了され、素晴らしい!の連発、来年は10月21日に決まったが、また打上にも参加したいとラブコール。

2000年10月24日 05時03分07秒

つまらん!

 最近、頭が枯れてるね。酔い日の日記なのに、芝居や音楽会の話、それも、他人様が読んでも面 白くもおかしくもない話ばかり。こりゃいかんぞと気が付いてはいるのだけれどね。
 飲む人が来なくなったんだ。それもある。いつも同じ顔と飲んでるとマンネリという苔が脳に生える。
 それも日常、人生さ。
2000年10月19日 18時25分10秒

WORLD PC EXPO 2000 を見る

 10月19日。日経BP主催、東京ビッグサイトで。
 新橋では、大勢の人がユリカモメの乗り場へ足早に向かっている。切符売り場は行列。混むぞと予感。およそ20分で会場入り口。予想通 りの混雑で、入場登録のゲートに長い行列が出来ている。

 こまかいブースはとばしてアドビ、ソニー、NEC、富士通、松下、東芝、などを見たが、ハードに重点を置いた出展は僅かである。
 MACのブースはシステムXのデモ展示とiVIDEOのデモを大きなスクリーンに映し出している。
 どのブースもインターネットに焦点を当てて画像処理をテーマに展示されている。
 MACのXは、G4に横長の液晶ディスプレイをセットしての展示。Xと9は同時に走ると云う。フォントの問題についての質問には明確な回答が得られなかった。今時、印刷原稿を作るために新機能を開発する筈がない、フォントがどう対応しているかなどは一般 的な説明としては不用なのか、そんな質問をする人は稀なのだろう。コンピューターのユーザーのうち平面 デザイナーなどというのはほんの一握りなんだから仕方ないよね。
ソニーのブースはデジカメを前面にバイオとの連携を売りにしているコーナーが人気。
 富士通、NECのブースは、それぞれNIFTY、BIGLOBE会員獲得に力が入っているのが見え見え。
 いずれもパソコン本体の訴求はわずか、その中でも、デスクトップはもはや影を潜めたといったかんじである。

 それでもおよそ2時間かけて見て回った。井の中からちょっと広い世界に触れてきただけと云ったところかな?

2000年10月19日 18時17分11秒

おじいちゃんの散歩・危ない!?

 日増しに秋は深まる。毎朝お散歩に出かけるおじいちゃん。向かいのJTの管理人Fさんが、「お宅のおじいちゃん、まっすぐ歩けないのと、車の気配を感じないので、見ていてとても危ないですよ」と教えてくれた。車が近づいているのに道の端から真ん中にすっと出てくるからだという。
 今朝はその様子を検証しようと、和子が5時半に起きて、後を付けることになっていた。だが、ちょっと様子がおかしい。左半身が動かないという。立てない。足に力が入らない。もちろん散歩は中止。ベッドに腰掛けて過ごせるように部屋の模様替えをして、朝食はいつもより少し早めに部屋で。トイレに行くのも和子の付き添いが必要。だが、その他には変わったところはないので、進行する恐れは無さそうである。軽い脳梗塞ではないかと言うことになった。人間誰しも年を取ると常に細い血管が切れたりつまったりして、ふらついたりめまいがしたりするそうである。それがひどいと、倒れたりするのだろう。「おじいちゃん、きょうは大事をとって一日静かにしていましょうね」と言うことになった。
2000年10月19日 12時01分37秒

古典四重奏団のショスタコーヴィッチを聞く

 コア石響での試演会で聞いたショスタコーヴィッチ#15,#12。文化会館小ホールで。
 モーツァルト協会の田辺さん、画家の藤波さん、チェンバロの加久間さんなどと会う。
 開演は10分ほど押したかな?まず#15。音が奔放に交錯し、深みに落ちていくようだ。田辺さんの感想「よくやるよ!」
 休憩15分。#12。コア石響で聞くより音が伸び柔らかい。評論家の中見さんは、一番前・かぶりつきで聞いたというが「コア石響で聞いたあの音の強さがないですね」。緊迫した音の塊は確かにないが、やはり音楽ホールで安心して聞いていられる演奏だったと思う。小ホールでしか味わえない場の緊張感を、大きなホールの演奏に求めるのは無理である。
 ショスタコーヴィッチは4つの楽器それぞれを丁寧に聞かせてくれるのがいい。特にヴィオラがよく歌う。もちろんチェロもヴァイオリンも。

 終演後、池之端にある「とうかい」でビールを飲みながら食事。樽谷氏共々5人。かのメンバーは話題が共通 しているので話も弾む。

 藤波さんはホームページを開いたという。
 加久間さんはルーテル協会で、鍋島元子さんの追悼演奏会に出るので是非とお誘いを受けた。
 モーツァルト協会は、古典四重奏団の演奏会を開く。

 今日も楽しい、良い日だった。        2000年10月19日 11時43分36秒

中川鶴女・第二回琵琶演奏会を聞いて

 那須与一と善知鳥。演奏会の仕掛けがだんだん大きくなる。きょうは、広い舞台に大書した法華経が6枚掛けてある。南海雄さんの書である。

 那須与一から演奏が始まる。素晴らしい演奏だった。以前はそれほど感じなかったが、声がいい。

 20分の休憩を挟んで「善知鳥」が始まる。演奏が少し変わっている。馬場さんのパーカッションで始まるが、これも以前とは変わっている。かすかな音でいつ始まったかわからないほど。ライトも徐々に明るくなりパーカッションが浮かびだしてくるにつれて音量 が上がってくる。「地獄極楽・・・・」と歌がかぶさって善知鳥の世界が拡がってくる。30分弱の曲だが、照明が色を変えて参加し舞台効果 を出す。法華経の書も瞬間真紅に彩られたかと思うと、緑に、紫にと情景を表して、ストーリーの流れを作って行く。

 演出効果は非常に良いと思う。演奏会が終わり、打ち上げの席に招待されたが、ここでは、大きなホールでの演奏より小ホールが良いなどの意見も多かった。
しかし、この問題は演奏家のかかえる問題で、小ホールでも、大ホールでもその場に合った演奏ができなければならない。どこにいっても同じ演奏ではだめだということではないか。
 AVが入るとナマとは違って聞こえる。それをどう弾くかもかだいだろう。ナマもAVも、どちらも良くなければならない。小ホールで得た10人のお客を失って、100人のお客を得ることは演奏家にとってどうしても必要だ。しかし小ホールの10人の客を満足させる演奏こそ、そのアーチストの原点であって欲しいと思う。
 演奏家は曲と共に育って行く。場に即した最高の演奏をして欲しい。

 コア石響での演奏は本当に素晴らしかった。だが、その通り弾いていては今日の演奏会では多くのファンを得ることは出来なかったと思う。私は小ホール派だが・・・

 会場はアカサカVシアター

2000年10月16日 13時28分09秒

古典四重奏団 ショスタコーヴィッチの12番、15番

 10月13日金曜日。
 ショスタコーヴィッチの12番と15番。今日もすごい演奏だった。聴衆は10人程。特に15番は怖さを感じる。何を表現しようとしているのだろう。命の葛藤のようなものを感じる。前日TE氏を見舞ったのでその影響がこの曲に怖れを感じたのかもしれない。
 音楽評論家の中見先生もみえていたが、初めてお聞きになったようで、しきりに暗譜をどうやってしていくのかなどと質問を重ねられていた。氏のお話では、弦楽クァルテットを楽譜無しで演奏するのはごく稀だとのことである。

2000年10月16日 13時26分54秒

久しぶりにAMC

10月14日。ゴスペルの稽古日。
 このところずっとご無沙汰していたが、久しぶりで覗いてみた。新しい顔も増え、幹部も変わり、練習方法も、練習曲も変わりレパートリーも増えているようだ。
 翌日、横浜でストリート・ライヴ(こんな言葉はないかな?)をやるそうである。誘われたが、15日は中川さんの琵琶演奏会なので、残念!
    2000年10月16日 13時25分59秒

語りウィーク とのしげを 北九州のむかしばなし

10月12日。語りウィークのトリはとのしげをさんの「北九州のむかしばなし」。との門下の下野明子さんも出演。
 事前に打ち合わせなしで当日10時過ぎからの設営だったので、かなり時間がかかった。舞台、客席、道具、ライト、音響の仕込みである。なんとか見通 しがたったのが2時過ぎ。会社には午後出社の遅刻届を出してあったが大幅に遅れてしまった。
 友人を見舞った後、タクシーで6時20分帰宅。何とか間に合った。
 本番では照明のオペレータ、ヴィデオ記録の二役を仰せつかっている。ヴィデオの調子が悪く、なかなか回らない。それでも何とかこなすことができた。

 とのさんの語りは、さすが年期が入っていて素晴らしい。初めての東京公演だと言うが、客入りは上々。桟敷を含めて百人入れる各席を作ったが、満席。数名の立ち見が出るほどだった。
 下野さんは、童話「ミッカメラ」「何もないねこ」の2つを読む。取り上げた作品もよく、とても面 白い。

 中村ヨシミツさんのギター即興演奏はまさに神業としかいいようのない緩急自在に音を操る。会場からたびたび拍手が湧く。

 良かった。お客様も満足して帰られた。

2000年10月13日 09時33分01秒

見舞い

10月12日。順天堂病院にT・E氏を見舞う。目は眼こうに沈みかつての輝きはなく、握手を求めて差し出された手は肉が落ち痩せ細っている。手を握ると意外に暖かい。熱があるのだろう。「良く来てくれたね」とほほえむ顔が痛ましい。
 病の経過や、はじめの手術の後回復して会社へ出ていたこと、ゴルフに行ったこと、酒を飲んだこと、次から次へと話して留まることがない。疲れるといけないからと話を制止するが「大丈夫だ」と続ける。はりきりボーイの面 目は失われていない。話している間も常に胃のあたりを軽く撫でている手は、細く華奢になってしまっている。一緒に麻雀をやったり、酒を飲んだり、企画書を書いたその手だ。奥様の言によれば「どなたか見舞いに来て下さるととても喜んでこうして喋り続けるんですよ」
 病名は知らせてないという。ベッドのそばにいて感じたことは、T・E氏は自分の状態を知っている、その上で、再会を喜び幾ばくもない命を燃やし続けているのだと。

2000年10月13日 09時29分11秒

10月展を観る

10月11日。京橋の「ギャラリーくぼた」に恒例のグループ展を観る。
 4時頃会場におじゃますると忠隈さんが当番、「きょうは一人なのよ」と明るく迎えて下さった。客はいない。懐かしい絵たちが並んでいて、ほっとする。でも、森津さんの絵に猫がいないなとか竹田さんは今年は山かなどと絵の違いを観る。
 「みんな一生懸命描いてるでしょう?私のは小学校の絵よ」と忠隈さん。私の好きな絵だ。今年もほのぼのと暖かい分かりやすい絵が10点ほど額装しないで壁に止めてある。ブルーが好きだとおっしゃるだけあって、青の形や変化が素敵だ。真っ赤な絵が2枚。「たまに赤が描きたくなるの」。激しいタッチ、その端の所々に刃を入れて紙がはぎ取ってある。完成を拒むようにも見える。「ちょっと事情があってここは見せないの。でも面 白いでしょう?」
 加藤さんは没頭して色を置いているあの世界がここにある。これも「お元気でなにより」
 原さんもいつものように明るい、汚れのない絵。今年は特に輝く顔が印象的だ。
 花びらの浮く湖面に映る木の、緻密に描き込まれた絵。ヒマラヤの激しい高地を幻想的描いた絵。強烈な赤の固まりを支える紺の波紋。勝手に想像を膨らませながら楽しい一時を頂戴してきた。時間があったらもう一度行きたい。
2000年10月11日 19時22分12秒

櫻井美紀の語り デオドラ

 10月10日。櫻井さんのケルトの民話からの再話。デオドラをハープとの共演で読まれた。静かで実にソフトな語りでありながら体中が聞き耳をたてる。怖い残酷な話が心にキズをつけながら、ほっと癒しのシーンが織りなす希有な世界がホールに拡がる。
 女優の目黒さん、平曲の秋山さん、それについ2〜3日前にこの場で語りの会を開いて下さった方々の顔もたくさん見える。それぞれどんな風に聴かれたのだろうか?
 櫻井さんはストーリーテラーはストーリークリエイターであるといわれる。むかしばなしをそのまま読み聞かせるのではなく、今の時代に適合するよう読み直し、作り上げるのだという。単に興味を惹くように書き直すのではない。時と共に誰がどう解釈したかを調べ上げ、物語の本質をつかむ。そのためには膨大な資料が必要である。だから、一つの話ができあがった頃の時代背景から、時代の変遷につれてその時々にどんな解釈がされたかが緻密に組み込まれている。赤ん坊に焼き鏝を押しつけるなどあり得ない話が、いま、多発している幼児虐待を描いているかのように聞かせてしまう。素晴らしい力量 であり、まさに櫻井さんの至芸である。
 演劇畑の方が読む語りと違った世界を聞かせていただいた。

 共演したハープはケルトの説話が生まれた時代のレプリカで、普段目にする楽器と較べると半分くらいの大きさ。リュートのような響きで、繊細で、饒舌で、とても面 白く聴けた。鳴らす楽器ではなく、語る楽器だ。       2000年10月11日 12時32分20秒

琴の勉強会。母の一日。

 10月9日。朝から雨。次第に雨足が強くなる。母の琴の勉強会だというのに。
 10時の琴の搬入。10時半集合。11時開演である。まず、琴を運び、とんぼ返りして母を会場へ。雨は相変わらず激しい。
 この日は、琴の先生たちの勉強会なのだが、最長老ということで母が客演?ということになったらしい。岩田先生から91歳になられて今なお矍鑠。私たちもあやかりたいので今日の会に出て頂きました、と紹介された。
 三曲会の指導者が集まっての勉強会である。いつもの発表会とはちょっと雰囲気が違う。緊張感がある。
 母の出番は3曲目。長い曲を良く覚えたものだ感心した。もちろん暗譜だ。

 送迎を仰せつかった私と息子は、昼休み時間にいったん帰宅し、3時頃再び会場へ。母は全部聞くのだと会場に残った。
送迎班は、家で食事をして一休み。あと三曲と言うところに着いた。1時間ほど早すぎた。息子は車の中でテレビを見て待っていると言う。私は会場で演奏を聴くことにした。
 最後の曲は岩田先生の琴、鳥羽氏の三絃で「尾上の松」。すごい演奏だった。卓絶した技巧でありながらその技巧を感じさせない。琴も三絃も、楽器が自然に鳴っているような錯覚に捕らわれるほどであった。会場は水を打ったような静かさ(ただ、クーラーの音は大きかった)。絃と唄が空間を満たし、聴衆は演奏の中に溶け込んでしまっている。
 プログラムを見直してみると、岩田先生は三絃と箏で7曲を弾かれたのだ。もちろん暗譜。古典四重奏団もさることながら、楽譜を見て弾いている演奏家に違和感を感じるようになった。希有な演奏家を知りすぎたのかも知れない。

 5時近くお開き。このあと反省会があるというが、岩田先生の「お疲れでしょうからお先にどうぞ」をいいことにして帰途についた。母も数々の名演、ことさら最後の「尾上の松」にはいたく感動していた。よい一日だった。    2000年10月09日 17時38分52秒

「語り・朗読ウィーク」メル・ソレイユ朗読会

10月8日。「語り・朗読ウィーク」の3日目。メル・ソレイユ朗読会の「こどもの情景」。6人の語り手が次々に。最後の子猫物語は全員が短い話を読みつないでいく。講談なら車読みといったところ。
 どなたも作品を良く読み込んでいる。的確に内容をつかんで、語り手それぞれの持ち味を生かしている。皆、一生懸命に稽古・研究した努力が聞く者に伝わってくる。
 この集まりは、それぞれが別々の師に学んでいるのだそうだ。それだけに一人一人芸が違う。だから、聞いていてあきない。語りというより芝居語りの色合いが濃いように感じた。
 「赤子を食う鬼」は語りのまとめ方がユニーク。時代をスリップしながら今昔を語りあげていた。「お手紙」は郵便屋さんを演じる一人芝居と言うべきか。客席にキャンディを配って大受け!演出が半端じゃない。などなど、とても面 白い一時を過ごすことができた。
                      2000年10月09日 17時28分44秒

ROSA ROXA ショーロの夕べ

10月7日。ROSA ROXA(ホーザ・ホーシャと読むそうだ)の「ショーロの夕べ」。客入りは50〜60と聞いていたのに、開場まもなく用意した席はいっぱい。気持ちの良い秋晴れに出足が良い。ワンドリンクつきだが、準備したワインはたちまち空になってしまった。あとからのお客はウーロン茶とか紅茶で喉をうるおす

 今回は真ん中にステージ、周りをお客が囲むというスタイル。演奏者は円状に中を向いて座る。そのためか、客が入りすぎたのか、音が広がって来ない。いまいちノリが良くないように感じる。演奏後知人も同じ事をいっていた。
 後半は、演奏者が180度入れ替わった。今度はよく鳴っていてノリも良くなった。ヴォーカルも声がよく伸びる。すばらしい演奏だ。お客も大満足。
 予定していた懇親会は、ワインが売り切れてしまったのでちょっと淋しかったようだ。でも、大入りに感謝々々!             
2000年10月09日 17時26分40秒

「語り・朗読ウィーク」神部洋子のお話の会

 10月6日。「語り・朗読ウィーク」の2日目。神部洋子さんの「秋のお話・一期一絵」。きょうは独り舞台である。「まゆみ」という自作・自演もあってユニークな会になった。
 もし、ホールにかかわっていなかったら、生涯触れることがなかったであろうステージで、まさに「一期一会」だ。

 神部さんは甘い声、純朴な語り口で、ユニークな間をとりながら、語り続けていく。「まゆみ」は一人称で体験を語るのだが、主人公の心象を一切見せず、感情の入らない不思議な世界を創っていく。叙述が重なりながら聴衆に像を創らせる。問題提起も解決もしない。
「メリーゴーランド」も内容は違うが同じ手法である。これまでに聞いた語りにはなかった。                        2000年10月09日 17時25分15秒

「語り・朗読ウィーク」ASK櫻の会

 10月5日。
 コア石響10周年記念に「語り・朗読ウィーク」を企画。その初日である。
 豊穣の秋・風があなたに届ける「九つの物語」。おひとり一話で九人の語り手がステージにたった。といっても昼間の公演だったので聞けなかった。家人の話では「面 白かった」そうだ。遠い昔に聞いた話が懐かしかったという。
 語り部として円熟した芸を聞かせてくれる方も多かったという。
 後日、その出演者の一人から、大きな梨が一箱届いた。森洋子さんだ。一番良かったと噂していた方である。ごちそうさま!        2000年10月09日 17時24分04秒

神田紫の読み語り「雪になる」

 10月3日。神田紫師の「雪になる」を観た。新感覚の読み語りドラマとある。サックス演奏で加藤朝雄氏、幕開き前にソプラノの木山みずほさんの「かざぐるま」という歌。読み語りはもちろん神田紫さん。

 病床のお澄。窓から見える蔦の葉が一葉また一葉と落ちていく。最後の一葉が落ちるとき自分の命も終わるのだと思いこんでいる。看病する浩吉。同じ長屋に住む年老いた喜三郎がみぞれ降る夜、蔦に自分が描いた葉をくくりつけるが、雨と風に濡れ、死んでしまうが、いつまでも落ちない最後の一葉を見ながらお澄は回復し、浩吉と結ばれる。
 本庄慧一郎創作とあるが、以前みた蔦の葉のシーンが鮮明に甦ってきた。その時は思い出せなかったが、帰宅してその話をすると、オー・ヘンリーの短編で「最後の一葉」だという。パンフをよく見ると「アメリカの小説」に依ると書いてあった。

 紫さんは熱演である。素晴らしい。今まで見てきた「女の情念」ものより素直に見ていることが出来た。真剣に取り組み、作品の内容を余すところ無く演じきっていたと思う。見て良かったと思う舞台の一つになった。サキソフォンとのからみ、講談仕立ては、なかなか観ることの出来ない舞台だろうがちょっと違和感を感じた。まあ、洋ものの翻案だし、講談師の読み語りだから仕方ないのかも知れない。
 平日の昼間だからか、観客の平均年齢はかなり高い。

2000年10月05日 17時47分46秒

ガムラン「王様の夢」

 10月1日。ガムランによる「王様の夢」。ガムラン演奏とワヤン。前回に続いて来日中のスダルサナ氏が特別 出演。寸劇がストーリーを進める。バロンクラブの鍋島さんの企画・構成である。
 年老いた王様が王位を王子に継承する物語。継承の儀式を前に王様がいなくなる。家来たちは王様を捜しにいくがなかなかみつからない。当の王様は、若い踊り娘たちの踊りを見ながら昔を懐かしんでいるのか?そんな筋書きのようだが、元の話を知らないからよく分からない。寸劇は、携帯電話や国勢調査の話が随所にちりばめてあって観客は爆笑。小さな子もキャッキャと笑いまくっていた。ガムランを熟知している人には「本物と違う」と不満だったようだが、楽しむ芸としては大成功ではなかったかと思う。
 大きなバロンが登場して観客のどぎもを抜く。オイオイ!撮影禁止になっているのに、タレントの記者会見なみにフラッシュがとぶ。わがおじいちゃんも負けじとシャッターを押している(フラッシュはちゃんと切ってあります)この舞台写 真は翌日には見ることが出来るだろう。

 さて、舞台の構成が素晴らしい。布を巧みに使いこなして色明かりをふんだんに使っているかのような効果 を出していた。鍋島氏の構成で、コア石響の過去の舞台にはなかった新しい構成だ。壁の向こうに広がりを感じさせ、小さいホールがゆったりと大きく見える。彼は、空間の構成がすばらしい。

 終了後のスタッフ打ち上げに招かれて参加したが、みな満足そうだった。写 真は整理出来次第UPしよう

2000年10月05日 17時45分42秒