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日記

人生、足し算しながら生きようよ

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叔母の一周忌
 今日25日は。昨年6月28日になくなった叔母の一周忌。
 供養のあと、A.I氏から山本家のルーツを記録に残してはとの提案があった。戦災でほとんどが消滅してしまったが、迎賓館、桃山御陵の建設にかかわった祖父の記録はまだ書物や学会の会報に残っているものがあるので、その話を一族に残しておきたいというのである。宮内省の資料は公開されていないので難航するだろうが、いま判るものだけでも収録・編集しておきたいと言う。
 このことは、以前から考えていたことなのではあるが、かなりしんどい作業なので放置してあった。
 親戚とはいえ、情報を交換するのが大変だったが、いまはメールやホームページを活用すれば比較的スムーズに事が運ぶかもしれない。思いたったが吉日。実現に向けて努力してみよう。

2000年06月25日 22時48分12秒

殺陣と芝居
 6月24日は殺陣の稽古。熱を出したsさん、忙しくてパスしたyさん、旅行中のaさんと欠席が多く、この日は4人。立ち回りの稽古は2手。5月の「八十里」を見田96歳のおじいちゃんが見学。たっぷり汗をかいたあビールで反省会といつもと同じコースだった。
 石黒芝居は明治維新をテーマに書き続けられ、多くの人に感銘を与えているのに、その感銘が一人一人の中に眠ったままではもったいないではないかという話になった。この感銘を束ねれば石黒芝居の面白さがもっと増幅されるのではないかという話題で盛り上がった。たとえばファン倶楽部のような観客組織を作って客の動員を計れば、5回〜10回のロングランが可能になり、芝居にますます磨きがかかり、更にファンが増えるという循環が起きるだろうということになった。
 近代日本の幕を開けた明治維新を多くの人に見直してもらうことは大きな意味をもつということである。
 ぜひ実現したい有意義な話であった。

2000年06月25日 22時47分07秒

生きている雑木林
 テレビのパクリですが、なるほどナルホドと感心したので忘れないうちのメモ。

 ルリタテハの羽化をみせてくれたNHK-TV。昔はたくさんあった雑木林も伐採でなくなり、僅かに残った林も荒れるがままで虫たちの住める環境は消滅寸前。

 ルリタテハの幼虫はケヤキの葉を食べているので、ケヤキを植える。このケヤキもいまではなかなか手に入らないという。

 羽化して成虫になるとクヌギなどの樹液を吸う。昔はカブトムシやクワガタムシが幹に傷をつけ樹液を吸ったそのあとに、にじみ出てくる樹液を蝶たちが吸って生きていたそうだ。

 ルリタテハの飛び交う雑木林をよみがえらせようと活動を始めた人たちは、カブトムシの増殖も欠かせないことになる。

 こうした努力を積み重ね着実に成果を挙げているという。

 蝶が自然の中で生きていくためには、餌になる木だけを植えてもダメ。カブトムシやクワガタムシ、カミキリムシなどの甲虫も一役買って、命を育む生きた林があったのだ。

2000年06月24日 15時02分50秒

夏至の散歩

 おじいちゃんは80歳台はサンポの達人だった。
毎朝数十段の階段をコースに入れた1時間は歩いていた。

 いまは、誘ってもなかなか出かけない。

 昨日、夏至の日、近くを一回りしてホテルニューオータニの日本庭園を見てきてご満悦。およそ3キロメートルの行程だ。さすがに少し疲れたようだが、歩く足取りは若い者顔負けだったという。

 夏至と言えば北半球では一番昼が長い日にあたる。24節気の一つで、各地にいろいろな言い伝えがあるようだ。

 夏至から数えて11日目を半夏(ハンゲ)あるいは半夏至と言って、この日寝坊すると頭が禿げるんだそうだ。今年は7月1日である。この日は畠で採れるモノを口にしてはいけないとか、家畜に草を与えてはいけないとかさまざまな迷信がある。なぜこんな言い伝えが出来たのか不思議だ。しかも今でも地方の祭りや祭事の中に生きているというのだからすごい。それを研究している学者先生もいるだろう。ますますすごい。新説・珍説入り交じって「昔」が創られている面もあるな。

2000年06月22日 17時55分25秒

遊び

 日曜日。久しぶりに孫たちが来た。大きくなった。

 長男がポリ袋で落下傘を作った。これを持って公園に行く。滑り台の上から投げてしばらく遊んでいたがすぐ飽きてしまった。この間、お父さんは迎賓館の周りをジョギング。ひとしきり遊んで、帰りにジュースを買ってもらって帰宅。

 帰るとすぐ、ダンボールをくれという。お菓子の箱も、ケーキの箱も、ありったけの箱という箱を出してやる。ガムテープ、はさみ、カッター、マーカー・・・工具も次々要求される。

 寝室が研究室になって立ち入り禁止。ドアはもちろん開放禁止となる。箱を組み合わせてロボットを創っている。

 しばらくは物も言わずおとなしく「研究」だ。許可を得て「研究室」に入ってみると足の踏み場もないくらいちらかっている。ロボットも形を整えてきている。

 次男が「ぼくは研究者にはならないよ」と言う。なぜかと訪ねても「いいの!」とだけ。理由はいまだに不明である。

 しばらくは「研究」の行く末を見ていたが、「できたら見せてね」と部屋を出た。

 お風呂に入りなさいと言われても「もう少し。待って!」。こんなやりとりが数回。「ちょっと」が重なってかなりの時間が経つ。「できたよ」と見せてくれた。「まだ未完成なの」だそうだ。「こんど来たとき続きをやるからね!しまっといてね!」。じょうだんじゃあないよ。「これじゃジイジたち寝れないじゃないか」というと「わかってる。ちゃんと片づけるから」。ほんとにきれいに片づけた。いままでは片づけがイヤで、怒られながら、泣きながら片づけていたのに、ゴミ一つなくきれいになった。成長したものだと関心した。オヤバカならぬジジバカである。

 大森の大きいおじいちゃんのおごりでお寿司が届き、よくだべた。この様子はデジカメして「わいわい村ファミリークラブ」のページにUPした。

 長男が、学校の工作でロボットを作ったとき、1メートルを超える作品を作り、クラスで一番大きく、いちばんかっこよく出来てほめられたことがあるそうだ。おとうさん曰く「四谷に来て、物をつくるおもしろさが分かった」のだそうだ。うちではゲームばかりやっているので、きょうはゲームとビデオは置いてきました、という。いまの子供は既成のおもちゃやゲーム、テレビが遊びの主流で、モノを作る楽しみを知らないのだろう。

 まだ保育園の三男に、空のペットボトルを床に落とすと「ぽんぽんはずむ」ことを教えてやったら、えらく気に入ってしばらくの間「はまって」繰り返していた。うちに帰ってからも空のボトルを見つけては床に投げて「うるさい!」と怒られているに違いない。

2000年06月21日 10時55分30秒

ピアノが生き返った
 シェーンから譲り受けたピアノが甦った。ハンマー、フェルトを新しくしたのだが、音が変わった。演奏家や評論家が口をそろえて褒めてくれる。  いずれコア石響のピアノのコマーシャルをHPにUPしよう。  調律は内田さんに限定することも案内しておく必要があると思う。彼はこのホールに合ったピアノを創るのだと張り切っている。すばらしい調律師だ。ここでしか聴けない音が生まれるのだ。

2000年06月20日 19時19分57秒

ガラス瓶で音楽

 銀行へ行った帰り、信号待ちで足を止めているとき、側にあるガラス博物館(東京・新橋)に入るきになった。この日のキイはビーズ。塗装の時などに混ぜておくと光を屈折して光る素材だった。
 入り口で、球体のガラスのスピーカーから笛の音が聞こえる。CD1000円とある。みるとガラス瓶を吹いて合奏しているらしい。早速買い求めた。帰宅して解説を読んでみると、ガラス瓶を吹いた音をデジタルで保存し、曲を演奏しているのでそうだ。ガラス瓶演奏がおもしろいと思って購入したが、いっぱいくわされた感じだ。これならキイボードにガラス瓶の音源を入れて演奏しているのと変わらない。

 瓶4本か5本で演奏できる曲を選んで、名前演奏をして欲しかった。
このCDに納められているのはポピュラーな曲ばかりだが、いやに間延びしておかしい。わざと稚拙に演奏しているわけではないのだろうが、最後まで聞く気にならないので途中で止めてしまった。いご、話の種にするとき以外は聞く機会もないだろう。

 世の中にはいろいろな試みをする人がいる。
それはすばらしいことだ。しかし、その試みが聴衆・観衆に感銘を与えるかどうかは別だ。ある時には嫌悪感を与える場合もある。
以前、テレビでちくわを吹いて音を聞かせていてが、私の場合、こういうものには嫌らしさを感じる。ちくわは食べ物だ。たとえ有名な演奏家だとしてもその食べ物に口をつけ、息を吹き込まれては、もう食べ物ではなく、破棄する以外に手はない。

 ケーキを投げ合ったり、卵をぶつけたりする番組があるが、テレビというメディアは物の価値などと言う物には一切無頓着である。見る人が喜べば、視聴率がコンマ1パーセントでも上がれば担当のディレクターの才能として認められるのだから仕方ない。

 昔、*TVの若いディレクターと番組の質について話あったことがある。ディレクター氏曰く「担当している番組の視聴率がわずかでも低下すれば、即下ろされてしまう。やりたくなくても聴衆が喜びそうなことをやり続けることになるんです」要するに、俗悪であろうがなかろうが視聴率を維持・向上させなければ首になる。自分の意志に反していても、続けざるを得ないというのだ。

 ドイツでは、将来、原子力発電をゼロにするそうだ。代替エネルギーの確保の見通しがあるからだろうが、思い切った決定だ。日本ではまだ原子力発電をどんどん造ろうとしている。21世紀はなにが起きるのだろうか。

 ちくわを吹き、ケーキを投げ合い、原発を造り続けることには何の脈絡も無いようだが、物の本質を見極めない政策を許しているのはやはり民衆だということを忘れてはならない。同時に、大衆に迎合する政策で表を集める政治家も糾弾すべきだ。

2000年06月20日 17時25分02秒

函館・五島軒のカレー
 けさNHKで横須賀の海軍カレーの話を見た。ANAの機内誌「翼」にも特集の中に同じ内容があった。  海軍兵が全国にカレーを広めたという。海軍の料理のマニュアルによれば、肉は牛と鶏でなぜか豚は使わない。タマネギや人参、ジャガイモなどにメリケン粉、カレー粉を使う。子供の頃に食べたどろっとしたあのカレーライスだ。
 函館で食べたカレーも小麦粉を炒った香ばしい香りとカレーの香りが混然となってカレーライス独特の味を出している。ここでも肉はビーフとチキンだけ。ほかにコンブ、エビなどのオリジナルメニューがあった。
 五島軒は明治12年創業と古いが、今は町中にレストランやティールーム、ケーキ店があり、空港やホテル、駅の売店にも売場がある「有名店」。おみやげは1人前のカレーのパックを10個とクッキーを2箱。
 カレー1パックを能書きをいいながらおみやげとして渡そうと言う魂胆である。
 クッキーは孫用になる筈である。

 港町へ行ったら、西洋料理の美味い店を探すのがいいかもしれない。文明開化は海を渡って来て港に着き、そこに根をはり、日本風にアレンジされながら広まって行っただろうから、港町には元祖西洋料理の老舗があるかもしれない。

2000年06月14日 12時43分33秒

函館にて
10〜11日。会社の旅行で函館へ。梅雨空を飛び越えて快晴の函館に着いたのが1時ころ。 坂本さんに「カレーがおいしい」と教わっていたので五島軒に4人で入った。明治12年創業のフランス料理屋だ。コースは6000円とか1万円クラス。カレーはイギリス風。小麦粉でとろみがついた昔の味で懐かしい美味さである。辛みも強く、ボリュームもたっぷりだ。 腹ごしらえがすんでから古い建物を見て回った。イギリス領事館、ロシア領事館、旧商工会議所などなかなかの見物だった。 比較的新しい建物も、意匠が凝らしてあって東京などの都会とは異なって味がある。町並みに味がある。旧波止場を起点とした海岸沿の道は観光が勝っていて、どこでも見るような景観だが賑わっている。 見応えのある古い町並みは閑散としている。函館市は人口が減り30万人を切って29万人。30万人を切ると地方交付税など中央からの援助が激減するので頭を痛めているそうだ。 訪問者と住民との利害は異なるが、経済的には再開発による活性化が望まれているに違いない。すばらしい町並みも、それを構成する建物もいずれ消えていくだろう。 北方民族資料館、函館市民文学館なども構成のしっかりした展示はどこに出しても恥ずかしくない。いつまでも維持し充実してもらいたいと思う。 夕食は6時から。昼のカレーでまだ腹が空かない。寿司屋で宴会というのはいいが時間が早すぎて食べられない。幹事がインターネットで安い店を探したというが、味はいまいち。品数は覚えきれないほど出たがほとんど食べられないままお開きになった。

2000年06月13日 18時19分24秒

 目黒さんの素晴らしい舞台を観た。
 第1部は芥川龍之介「魔術」。欲を捨てることの出来ない男のほんのまどろみの一瞬の間の心の動きを演じた。見事であった。魔術で本が飛んだり、燃えている石炭が金貨に変わるシーンの描写はリアルで観衆はまるでそこに実際の魔術を観ているように見えたという。

 第2部は太宰治の「清貧譚」。菊の精と出会い幾ばくかの時を過ごした男の物語。笑いの中に妖気が泳いでいるような不思議な世界を作ってくれた。観客の反応が強く、役者が乗る。乗るから更にリアクションがくる。演技者と観客が一体になって舞台を創っていくという感じであった。
 最後、菊の精が役目を終わり溶けてしまった後に咲く大きな菊の花が印象的だった。演出と照明の力量であろう。

 音楽は、つのださんのタブラのCDから拝借。波多野さんの歌も当意即妙。サヌカイトの音が幽玄の場に効果を添えると言った具合で、石響アーチストの方々のご協力も嬉しかった。

 2回の公演を終わって、打ち上げではいろいろな方との出会いがあった。本当に良い日が続いた。

 目黒さんは、このあと「マカロニ金融道」と言う芝居に出演。中国地方の巡業に出るという。出発前の7月1日に東京・亀有で1ステージの公演があるという。見に行きたい。

2000年06月05日 16時41分37秒

ショウデザイン舎の「スティール・マグノリアス」を観た。
 6月2日。東京・目白のアイピットで。女優6人の芝居だ。
 男は鉄、女は花と言われる中、とある美容院を舞台に繰り広げられる「花のように繊細で、鉄のように強い女たちの物語」とパンフレットにある。
 完成度の高い舞台に魅せられた。一人一人の個性がよく浮き上がり、台詞のかみ合いも絶妙。ユーモアと毒舌が織りなす激流の様なテンポのよさと油を流したような重い淀みが素晴らしい。ウィザーの井出さん、今ではあまり聞かなくなった「新劇」と言うことば。その名作を数々こなした百戦錬磨の名演に完全に脱帽。ほかの女優さんもすべてが粒ぞろいで万歳!
 映画になって好評だったというが、そのシーンを模したと思われるような役作りを感じるところがあったのは止むを得ないが、女優4人で演じる「楽屋」を観た直後だったのでどうしても並べて比較してしまう。心の底に残るものは多かったのは「楽屋」だった。

2000年06月04日 14時28分20秒

芝居を観にいく
sさんから電話で面白い芝居をやっている旨連絡がはいった。
今日6月2日しか空いていないので急遽観にいくことにした。
ロバート・ハーリング作「スティール・マグノリアス」。映画「マグノリアの花たち」の原作戯曲。登場人物はすべて女性。
先週コア石響でやった「楽屋」も女性だけの芝居。
女優づいていす。
明日の語り芝居も女優・目黒さんだ。

2000年06月02日 17時03分03秒

6月初日
5月までのサイトが一杯になったのでこちらに引っ越しした。
見に来る方に影響ないように調整したが、念のため従来のサイトとダブルで運用する。

2000年06月01日 17時01分53秒